見出し画像

自分の親は毒親なのか問題

毒親という言葉を知った時から、もしかしてうちの親はこれかもしれない。
でも、私は比較的まともに育っているし、どうなんだろう。
そんな思いをずっと抱えている。

虐待やネグレクトをされたわけではない。
どちらかというと過保護で愛情をたくさんもらったと思っている。
他人から「しっかり愛情持って育ててもらったんだね。」と言われたことが2回あるんだけれど(びっくりしたので覚えている)、そういうふうに言ってもらえるということは、親の愛情を受け取れていて周りの人にも与えたり伝えたりできているんだろうと思っている。

愛をたくさんもらって私が豊かであることと、親が迷惑をかけてきて普通、人がしないような苦労をしていることは別なんだと最近は思う。

両親が不仲だった時期は全てをシャットアウトしていたので中学〜高校はあまり記憶がなかったりするけど、そういうことはどの家でも多少ありそうだし、なんとも言えない。

一番嫌だったというか、幻滅したのは母が年に一度暴れ倒して家の中をぐちゃぐちゃにすることだった。
決まってそれは夜の仕事のパートから帰ってきた朝帰りの日で、明け方にいつも起こる。それは私が小学校〜高校卒業くらいまで続いたと思う。嫌な記憶なのであまり覚えていないけど、とりあえずほんとにクズだと思っていた。小学校高学年くらいのときに普通の親が欲しかったと泣いたことがある。それでもクズのままだった。

このとき父はどうしてたかというと、母をなだめるだけだった。叱りもしたけど私からすれば足りない。
三人家族なのでどちらの味方にもならないと父は決めていたのか逃げていたのかわからないが、揉め事があっても父はほとんど機能しなかった。争うことを極端に恐れていたように思う。逃げ癖と見ぬふり、我慢のクズだった。

明らかに母が悪いときもあまり怒らないので父にいい加減にしろとブチギレたことが何度もある。父は好きで結婚したかもしれないけど子からしたら知ったことではない。ちゃんと親の役割を果たせと詰めた。

もう一つついでに母のクズエピソードを書くと、その時に母は不倫もしていた。当時から怪しかったけど数年前にお酒を飲んだときに気分が良くなったのか、父もいなかったので急にカミングアウトしてきた。極めつけが「たのしかったわぁ〜」。
人としては本当にクズ(知的障害があるのもあるけど)だった。

これだけのことがあっても冒頭のように、愛を受け取れているのが本当に謎なのだ。
毒を切り離して愛情を受け取る能力が私にあっただけなのかもしれないし、そもそもあらゆる子どもはそういう才能があるのかもしれない。

高校、大学受験は全て私が思うように受けさせてもらえたので、そういう点では困ったことがない。物理的に私の人生を邪魔しようとしてきたことは全くなく、いつも応援してくれたし見守ってくれた。その点では感謝している。

両親共に愛情に飢えて育っているので、愛情はたくさんあげなければならない。子どもは勉強をさせていい大学に行っていい就職先に入れなければならないと思っていたように思う(実際新卒一社目まではそうなったし満足していた)。

ただ、両親共に自分の生みの親と絶縁しているので、成人後に親が迷惑をかけてくることについては無頓着だった。自分達がいかにこれから子どもに迷惑をかけるかという視点が全くなかった。

というか、子ども(つまり私)に力を注ぎすぎて、自分達のことは全く何もしなかった。というのが正しいかもしれない。

WEBでいろんなサイトを見ていると、両親が死んだらすごくかなしいとか、死んでからも思い出してはふさぎこむ、もう一度話したい。夫の世話はしないけど両親の世話は絶対するなど書いている人がいる。
私には全くどれもない感情だった。

私は愛情をもらったのにこういうふうに思わなくて、私がやばいやつなのか?と心配になり夫に聞いたことがある。そうしたら、そんなの気にしてるのかと一蹴されて、別にそのままの気持ちでいいと思うよ。そんなの人それぞれだし比べることじゃないと言われて、ほっとした。

私はやることを全てやって、もうスッキリしている。両親はいつ死んでもいいし、後悔もない。
あの時もっとああしてあげれば、的なものは全くない。
18歳の時から親孝行はすでにした。たくさんお店について行って(スナック込み)晩御飯と酒の相手をして、上京してからも年に2回は帰省して、親と食事に行った。私が地元で結婚してからは、両親が不仲の時は月に2度ぐらい晩御飯を作りに行って、親のガス抜きをした(これは夫のアイデアでとても良かった)。

それで十分だし、親もそれしか求めていなかった。結局酒とタバコにお金を溶かす人の求めるものなんてすぐにできるようなことなのだ。
その頃は親ももう少ししっかりしていてここまで迷惑かけてこなかったので食事の時間も純粋に楽しめた。

今はもう無理だ、一緒に食事なんてしたくない。楽しくないから。

そういう意味で、親孝行はもうできなくなってしまった。楽しく食事をするというような些細だけれど大切なことが遠ざかる。

もう、両親とは食卓を囲まないかもしれない。
お店にもいかないかもしれない。そう思うと、最後の晩餐はいつだったんだろう。思い出せない。けど、そういうものでいいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?