できる人を自頭が良いと線を引く人は一生自頭が悪い
こんにちは、久しぶりです。考えたことを気軽に書き溜めるためにnoteを始めたのも関わらず全然書いていませんでした。継続性は皆無なので仕方ありません。
今、本を読んでいたら、隣で資格試験の模試の結果が悪かったであろう人が、先輩にアドバイスを求めるべく無限に通話しているのに不思議な事ばかりなので、そのことを言語化しておこうと思います(発散したいだけ)。
アドバイスを聞いてる風で改善する気がない
聞きたくもないのだけれど耳からうどんを生やして通話しているので、耳に入ってきてしまうのです。
聞くに、先輩が受けたときは感触があったのか聞いています。そして、(おそらく)先輩も模試は悪かったとか手応えなかったけど本番ではなんとかなったみたいな話を聞いて「そういうもんですよね〜」といった感じで慰めを受けていた。
模試で合格点には遠い点数を如何に良くするかというよりかは、自分の学習状況はもしは悪かったけど実はそんなに悪い状況ではない、という安心感をただ求めている感がするのがすごく不思議。
できる人を自頭がいいとかで片付ける
その後、後輩で九大出身で、後からやったのに突然成績伸びたやつがいるという話をしていて、「やっぱ自頭が違うんですかねー」的な感じで片付けていたのも気になったのです。
自分は自頭が良いと言われることが多いので思うのですが、自頭が良いというのは先天的に頭がいいとかそういうことではないと思うのです。
人生の何処かのタイミングで、何かを身につけるという努力をして、そのプロセスを抽象化した結果、いろんな新しいことも自分のものにする自分なりの方法を得ているだけなのではないでしょうか。
なのに、自分にあっている物事の身につけ方を一切模索することなく、他人のノートを写したり、過去問対策だけして問われている事の本質を考えなかったり、楽してなんとか乗り越えてきた、とかそういうことの結果なのではという気もしています。
もちろん学生の頃にそういう機会を持てたかどうかは環境依存なところがあるので、個人の努力にすべて帰責するのも難しい話とも思いますが、だからといって物事の習得方法の機会を逸してしまった人が、その後の人生もそれをせずに知識を身に着けていけるかといえば否だと思います。
なのに、常にショートカットばかり探し、その傍らで自頭がいい人を羨むというのもなんか物悲しい所作だなと言う感を得ました。
わかりやすい、理解しやすい教材の有無はあるかもしれないけれど、結局は自分の頭が理解しなければ意味がないし、意味がわかっていないけれど丸暗記して右から左に受け流してペーパー試験はなぜか合格しました、みたいなことを繰り返してばかりなのであれば、それはそうだよなぁという感じがとてもしました。
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