がんばることがんばらないことちゃんとすること

 大学入試というのは、志望校がどこで自分の偏差値がどのくらいで、然るに合格可能性はどれくらいで…みたいな計算を立てるものだと思うが、私はそのテのが何もないまま本番の日を迎えた。
 17で高校を中退、地元で3年間中卒無職をやってからの挑戦だったが、当時は体調次第でひらがなさえ怪しい時があった。読めるけど書けない、みたいなね。計画なんか立つわけないのだ。
 勉強ばかりだったせいで記憶に残ることがほとんどない1年だったが、唯一センター試験の日のことだけはっきりと覚えている。トラウマというやつだ。
 
 昼も夜もなく眠たくなるまで参考書を読む引きこもり生活を過ごして、気が付いたら当日という感じだった。寝過ごしたらまずいと思って朝5時に起きた。母からスヌーピーのトートーバッグと緊急用のタクシー代2万を借りた。寒さに備えてハチャメチャに厚着をして、時間確認の為に父の腕時計を巻いた。
 なんだ、ちゃんとできるじゃん。手際よく色んなことに気をまわせた気がして、結構誇らしかった。

 大分早めに会場に着くと、いかにも大学の教室らしく、教壇から入り口にかけて席がだんだん高くなっていた。私は後ろの方の席だ。見下ろすとたくさんの人の後頭部が見える。私のようにぶくぶくに厚着をしてごつい腕時計を巻いてる人はいない。制服を着ている人が6割くらいで、服装に関わらずみんなスクールバッグを持っていた。
 何となくスヌーピーのバッグを椅子の下に隠して、机の上に突っ伏す。後ろの席でよかったと思った。あんまりじろじろ見られないから。

 昼食時は会場を抜け出して5分ほどの距離にある公園に向かった。公園は閑散としていて、小学3~4年生くらいの子供たちが遊んでいるだけだ。男の子が3人、女の子が1人。えらそうに制服なぞ着こんでるやつはいない。のどかなものだ。ほっとした気持ちだった。
 おにぎりの包みを開けると、海苔が別入れになっていた。シケらせずにパリパリの状態で食わせようという母の工夫らしい。コンロで海苔をあぶる母の姿が目に浮かぶ。これは結構きつくて頭を抱えてしまった。
 そんなに気合い入れられてもしんどいんだけど。多分テストうまくいかないよ。よくわかんないけど。

 ぼんやりとおにぎりをほおばっていると、そんなにのどかな場所でもないことがわかってきた。女の子があからさまに仲間外れにされているのだ。それは別にいいんだけど、見ていてムカムカするようなやり口だった。仲間外れにするくせに、女の子が帰ろうとするとはやし立てて連れ戻し、またいじめ始める。即刻戸塚ヨットスクールにぶち込んだ方がよさそうなクソガキっぷりだった。絶対そのうち性犯罪とか起こすだろこいつら。

 どやしつけてやろうと決意して立ち上がったが、なんだかドギマギしちゃって、すぐ腰を下ろした。え?俺小学生にビビってんの?
 不審者扱いは面倒だなと思って、念のために辺りを見回す。この動き自体が不審者じみていることに気が付いて、背筋に嫌な感触が走った。

 泣きそうな女の子。盛り上がるクソガキ。キョドる中卒無職。パリパリの海苔。ほっとするどころではなかった。地獄みたいな場所じゃないか。核でも落として地図から消滅させてくれ。

 結局キョドっているうちに試験時間となり、すまし顔で会場に戻った。

 試験後はまっすぐ帰る気がしなくて、途中下車してネットカフェに向かった。どうせお袋が豪勢な食事を作って待っているのだ。合わせる顔がなかった。そういうのやめろつってんだろクソババァ。あと生まれてきてすいませんでした。長生きしてね。

 終電に乗って真っ暗な道を家まで歩いていると、懐かしい感じがした。プラプラしてた時分は毎日、こうしてうしろめたい感じで暗い道を帰ったものだった。
 チンピラ生活に逆戻りだ。いや、状況はさらに悪くなっている。あの頃はなんだって、警官だってヤンキーだって怖くはなかった。
 
 ああつれぇ。1年ガリ勉したお返しがこれかよ。神に祈りたいような感じだった。何とか格好の付く大学に通してくれたら、反省して頑張るんだけどな。そもそも今年は結構頑張ったんだけどな。ってかプラプラしてた時だって、頑張ってたんだけどな。何を頑張ってたかはもう覚えてないけど、なんか結構必死だったんだけどな。

 多分、「ちゃんと」は頑張ってなかったんだろうなというのがその時に得た直観だった。感情に任せて力任せにじたばたするだけ。その結果がこれだ。冗談みたいな恰好をして小学生に怯える中卒無職20歳。

 家に着いたがドアを開ける決心がつかず、軒先でへたり込む。腕を組んで目を閉じて、神に祈ってみた。母がプロテスタントなので、小学生までは教会に通っていた。
 まともな大学に行かせてください、ちゃんとさせてください、がんばります。アーメン。
 祈りの効用か思考がクリアになって、自分の欲望がはっきりと形を成してきた。スクールバッグ集団も、公園のいじめっ子も、列車の乗客も父も母も、私を怯えさせるものはみな私より「ちゃんと」していた。
 神よ、私はあれらになりたかったのですね。

 結局、神のご加護かそこそこの大学に入れたので、それから10年はひたすら「ちゃんと」することにささげてきた。紆余曲折あったけど、金もためたし、定職もあるし、起業まで始めたし、体脂肪率12とかだし、思いつく限りのところは整えた。あぁ結婚してねぇや早くしないと。

 怯えないためのコツはシンプルだ。大学の後部座席よろしく、皆眼下に置いて軽蔑してしまえば良い。今はもう何も怖くはない。
 それでも、未だにあの時の怯えの感覚が反響みたいに体を貫くことがある。自分で自分を軽蔑しているからかもしれない。

 今年のテーマは「頑張らないこと」だったが、あまりうまくできなかった。私がやると「頑張らないことを頑張る」と言った感じで、遊びや休憩にも一種の必死さが出てしまう。遊んでくれるプータロー各位のような自然な怠惰さはついに身に着かなかった。来年はもう少しちゃんと頑張りたい。もうよくわかんねぇなこれ。

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