見出し画像

スコンと腹に落ちる

※2023年10月11日Instagram投稿


秋の日差しと乾いた風。
たゆたうように日向ぼっこ。

ヒーリングプレゼントでgive&giveを体感したり。
みきさん(@dubianmiki )のチャネリングで一歩踏み出したり。
日暮里の自主練会で、吉岡純子さんの言葉で確信もてたり。

グルグルワーク(詳しくは『桑名正則』さんの動画をご覧ください)を続けていたら、ミリ単位でフェーズ移行が始まった気がする。
内側のね。



うちの庭は、実は魔法の庭でw
植えた覚えのない植物が生えてくるんだけど。
今年は零余子が実っている。

今日は落ちそうな子を収穫していた。

その最中だ。
ふと「あ!私べつに幸せでなくてもいいんだわ〜」と。
妙に納得。
妙にしっくり。



何て言ったらいいのかな…???

幸せを感じたら、もちろん嬉しい。
けど。
そうじゃない感覚の中に在っても、べつに構わない。

訪れる展開、それによる感情は、魂が欲したものに変わりないだろう。

だったら私は、それを『如何に美味しく戴くか』に注力したらいいのでは?

私は、魂と息のあったダンスをしたいのだ。
それはきっと、時を忘れるほど楽しいに違いない。

そして『楽しい』は色々な要素が含まれている。
様々な色、トーン…生み出されるコントラスト。
全部含めて内包して『楽しい』になる。



しなやかに強く、したたかに強くなりたい。

肝心なのは、どんな感情に見舞われていてもブレない芯なんだね。
揺れてもいいし、ブレたっていいんだけどさ。

揺れて揺れて、段々としなやかに聳え立つ大樹のようになったら素敵だと思う。

昨日、大人数の中でスン…としていた私は「太極を太らせる」という言葉を思い出していた。

気学を習った時に教えてもらった言葉。
「人生最大の目的は、太極を太らせること」と先生は話していた。

今思えばこれは、宇宙唯一の望みが成長だからだろうと。
点と点が繋がった。

で。
こうした自主練会の熱が去っても、自分の火を消さないことだ。
たとえ忘れてしまっても、この時たしかに灯った火の存在を否定しないこと。

きっとどこかで、誰かに灯すことがあるはず。
自分の内側でも、次に灯りをまっている箇所が存在しているはず。

太極を太らせる、自分の軸を育てる。
感覚としては、こういう感じかな?と理解した。

現実の行動としては、日々の内観や自浄、森羅万象との同調…いつもの事をいつものように淡々と続けること。



そう思うと、幸せかどうかと考えること自体に用がなくなるというか…。

その発想は必要かな?と、疑問になってくる。

目の前の零余子は、そんなこと考えてない。
頭上で歌う鳥たちもそうだ。

ただただ、この心地よい秋の中に存在しているだけ。

つまり。
私、幸せ要らな〜い!
(幸せの中に私が在るのだもの)
になるわけだ。

うん、ちょっと目が覚めた気分!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?