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シンエヴァ徒然草①
シンエヴァについて徒然なるままに思いついたことをつらつらと。
作文のリハビリもせずに前置きなしに書き出したら、いきなりガフの扉とかに言及してしまって読まれる事を想定できないポンコツですが、レッツゴー。
ハイ。
ガフの扉はたぶん瞳孔の事でしょ。ヴィレの槍のお届け先は3Dデカ波の瞳孔だったし。
んで仮称アヤナミレイが「これ何?人間なのに小さい!」と目を丸くしていた時の瞳孔、あれもガフの扉の一種なんじゃないかな、と。
つまりガフの扉ってのは誰にでもあるものなんじゃねーの?っていう。というかキミの瞳が一つの世界への扉を持ち、君たちの数だけ世界は構築されている。
そういうインフィニティであり、
超有限であるコ。
個、己、弧、子。
(この段落はちょっとかっ飛ばし過ぎだなぁ超有限ってなんだよってググると超有限主義なる数学界の概念に届いてしまうピーキーさ。意味不明ですのであしからず)
同じ映画をみた人間には全く異なる似通った世界がその数だけ構築される。そして消える。残る者には残る。またその世界観に浸る。世界がアップデートされる。なんかそういう話。
同じ映画をみるというのは共同幻想というやつが近いが違う。同じ映画を見る/観る。同じ映画を同時に同じ場で観る。そこから感想戦。うむ、とっ散らかってまいりました。(一息入れる)
まぁ言いたかったのは、仮称アヤナミレイの中で起きた感情という現象は、ゼーレにプログラミングされたものであっても良いと感じることを是であると承認する、その主体の発現こそがガフの扉を開く鍵なんじゃねーのかな、と。素体は無数にあれど、そのナンバリングがされた素体もとい個体はそこにしかいない。
まぁイイや、あとなんか思いついてたのもあるから気が向いたら。
ではでは。
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