応援と、観戦。2024/02/19

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昨日、日曜日。大淀ボーイズの春全国大会予選、準決勝がありました。春は支部で1チームしか全国へはいけないので、あと2つ、勝たなければいけません。組み合わせが決まったときから、この準決勝が一番の山場ということは分かっていました。1つ隣の山に強いチームが固まっていて、そこを勝ち上がってきたところと当たる位置だったので。そんな中迎えた、準決勝でした。

結果は、0-5の完敗。投手、守備、走塁、打撃、すべてにおいて力負けだったと思います。序盤の3回で5点を取られ、終始追いかける展開。結局最後まで力及ばず、1点も返せることなく試合は幕を閉じました。

もちろん、負けたこと、力が足りなかったこと、悔しいです。ただ、昨日のこの試合に関しては、それ以上に大きなショックを感じる、そんな試合でした。

自分は選手権の支部予選は、今の学年はベンチ入りはせず、スタンドでの応援となります。他の学年や親の中に入って、スタンドからグラウンドへ声をかけます。その中でも今学年は、親の中に混ざって声を出すようにしています。それは、父兄の試合中の振る舞いや雰囲気が、予選本番で試合に与える影響の大きさを知っているからです。その良い影響を与えるムードを作るためにも、父兄と同じ場所にいるようにしています。

昨日ショックを感じてしまったのは、まさにこのスタンドの親の雰囲気、出す声に関してでした。今年の学年の親は、しっかり子どもたちの応援を1つになって出来る、そんな方達だと思っていたから、というのもあり、余計に。

試合が序盤から劣勢だったのは事実です。先攻で、初回にも点は取れず、そのすぐ裏にミスも絡んだピンチで1点を取られ、その続く2回裏にも1点、3回裏には投手を交代させるなどの策は立てるも、結局ミスが続いて3失点。ここから7回までにひっくり返すことが出来る確率は、たしかにかなり低かったです。

ですが、予選の本番ですから、そういう展開になることもあります。グラウンドに立つ子どもたちが一番緊張して、いつもは出来ることが出来なかったり、いつもはしないようなことをしてしまったり。むしろまだ春ですから、場慣れも乏しい時期です。ミスはしたくてしてるんじゃないですし、それでもしてしまう、出てしまうのが予選本番です。

それなのに、スタンドの雰囲気はミスが出て、点を取られる度に沈んでいく、澱んでいくばかり。犠牲フライで中継までしっかり投げられなかったら「カットまでしっかり投げろ!」、甘いストライクを見逃してしまったら「しっかり振っていけよ!」、内野がエラーしてしまったら「何してんねん!」。そういう声ばかりが試合中、親から出ていることに対して、正直試合中、僕は憤りを感じていました。指摘の声ばかりで、応援の声がないことに。

支部予選は本番です。練習試合ではないんです。練習試合では、出来ていないことを指摘して次には出来るようにする、ということは必要ですし重要です。しかし、昨日の試合はそうじゃない。本番なんです。そこで、出来ていないこと、もっとちゃんとしなければいけないことをいくら指摘しても、何にもなりません。どれだけ点を取られても、どれだけミスが出ても、それでもスタンドにいる親は、本番でプレーする選手が前を向いて試合終了まで力を発揮出来るように、背中を押す声を出さなきゃいけないんだと思います。

もっとちゃんとやってほしいという気持ちは痛いほど分かります。指摘や厳しい声、それは子どもらに勝って欲しいという気持ちからくる声だから、責めることも出来ません。だけど、僕はスタンドもグラウンドと1つになって戦う、というのはそうじゃないと思うんです。もっとちゃんとやって欲しいといくらスタンドから思っても、やっているのは選手なんです。いくらスタンドから言っても、起こったミスは起こったミス、出来なかったことは出来なかったことなんです。本番では、試合が終わるまでは、何が起こっても選手は前を向いて、勝つために今できる全力を発揮しなければいけない。そのためには、スタンドの親が子どもにかけてあげる言葉が、何よりも大事になってきます。ミスをしても、ゲームセットになるまで試合は続きます、それが野球です。そして、ゲームセットになるまで勝ちへの希望を捨ててはいけない、これも野球です。そして、勝つということだけが求められる、それが支部予選本番です。だったら、何が起こっても、その勝つということへの希望を、グラウンドにいる選手たちが捨ててしまわないように、ミスが出ても点を取られても、次のこと、次のことと、まだ残っている可能性に目を向けさせてやるような、そんな言葉をスタンドからは出して、その雰囲気を試合が終わるまで作り続けなければいけないんではないでしょうか。そう思います。

昨日の大淀のスタンドには、「観戦」している親しかいなかったように思います。「応援」をしている親はいなかった。それがショックでたまりませんでした。劣勢の状況で「声出して!」とお父さんたちに言って、微妙な反応しかかえってこなかったあの瞬間は、本当に悲しかったし、これでは何も起きない、起こせないと心から思ってしまいました。スタンドにいる親全体が、まるで試合の第三者でした。一緒に戦っているという雰囲気が、全くなくて、大淀が勝つときの野球はこうじゃないと、心底感じました。

これについて僕はどうしていけばいいのか、何をすればいいのか、あまり分かってはいません。年も皆さんの半分くらいの自分に、どうやって大人を変えていくことが出来るのか、全く分かりません。昨日の試合後ミーティングでは、試合の内容よりもこのことばかり頭にあったので、そのままの言葉で親の前で言ってしまいましたが、あの行動が正しいことだったのか、間違ったことだったのか、今でも分かりません。もしかしたらチームの分断を生むんじゃないかという危惧もあります。だけど、指導者の一人として、チームに関わる一人として、そこが変わらない限り勝ち上がれはしない、チームは1つになりはしないと思ってしまっている以上、それを自分の中にだけ持っていても何にもなりません。今年の学年は絶対に負けて欲しくないんです。若造一人ぼっち、苦しいですが、後悔しないようにやれることは全部やらないとな、と思います。頑張ります。

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