話の聞き方、について。2024/02/16

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「話の聞き方」というのには、その人の人間性が出る。

最近は、例えば傾聴とか、本音を引き出す問いの立て方とか、そういう話の聞き方におけるテクニックみたいなものも出ている。しかし、自分は話の聞き方というのはテクニックの次元にあるものではないと思う。

例えば、話している人の目を見る、ということを、意識してやっている人と、無意識にやれる人とでは、話している側からしたら見え方が恐らくだけど全然違う。意識しないと話している人の目を見ることが出来ない人は、そっちに意識が持っていかれるから少なくとも話から読み取れる情報量に制限がかかるし、それによって適切なリアクションや返答を考えることがままならなくなり、結局うまく対話にならなかったりする。

もちろん、無意識の領域に達するために有意識状態での訓練を重ねる、ということは間違いではない。しかし、この話の聞き方ということに関しては、なんとなくそうではない気がする。そういう、テクニック的な表層の対処でどうにかなるものというよりは、もっと根底の、人間性のところが影響していることだと思うから。

目を見て話を聞けるようになっても、聞いているときの目つきは変わらない。話を聞いて相槌を打てるようになっても、打っているときの表情は変わらない。目つきや表情というのは、その人の内面から滲み出るものだからだ。

特に1対1の場においては、話し手はそういった要素をわりと鋭く感じ取る。目は見られてても、頷いてはくれてても、「あ、こいつちゃんと聞いてねえな」って、感じられる人は感じられるものだ。

そういう意味で、話の聞き方において、テクニックでそれをどうにかしようというのは、恐らくだけど、筋違いだと思う。やらないよりはマシだが、それ以前に、周囲の人に関心を持とうとする謙虚さとか、人への配慮を深く持とうとするやさしさとか、そういう部分を追求していく方のが、話の聞き方をよくしていくためには必要なような気がしている。


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