人の言葉をお借りする。2024/02/15

1,141

人と喋っていたときのこと、特に考え方の話や人生観の話をしていたときのことをふと思い出すと、自分はわりと頻繁に誰かの言葉を引用して話している、ということに気付く。自分のことを話しているとき、人の話を聴いているとき、よく、誰かがこんなこと言っていたなという言葉をふと思い出す。「これは〇〇の言葉なんだけどね、」とか、「〇〇が言ってたことなんだけど、」とか、「〇〇で見たことなんだけどね、」っていうことをよく言ってる。

これをマイナスの方向で捉えれば、なんか誰かのコピーで喋ってるみたいで自分がないんだなとか、人が言ってたこと使っていい気になってんなとか、そういう風になるかもしれないが、これに関しては自分は全くそうは思わない。これに気付いたときはむしろ、あ、いい生き方出来てるんだなと思って嬉しくなったくらい。

「自分がない」なんていうのは、当たり前だと思う。人間、生まれたときは何者でもなくて、そこから色んなものに出会っていく中で自己を形成して、1人の存在となっていく。つまり、自分を作ってくれるのは、自分と出会ってくれた周りでしかないということ。それは言葉であり、考えであり、生き方であり、そして人であり。そうして出会って、いいなと思って真似をして、悪いなと思って避けて通って。生きていくための学習というのはそれ以上でもそれ以下でもないと思っている。Continuesだね。命は続く、日々のゲームは続く、君が燃やす思いは、次の何かを照らすんだ。そう、歌詞にも出会う。

だから、今こうして誰かの言葉や考え方を自分のものとして扱いながら生きているのはごく自然なことだと思っているし、何もマイナスなことはないと胸を張って言える。
マイナスどころか、自分はこうして普段の会話で誰かがこう言っていた、こんな言葉を聴いた、知った、ということをふと思い出せる引き出しをいくつか持てるほど、これまでの出会いを大切にしてきていたんだな、と思える。

ヒロトにしろ、マーシーにしろ、J.Y.Parkにしろ、野村克也にしろ落合博満にしろ、苫野先生にしろ工藤先生にしろ、出光佐三にしろ、エーリッヒ・フロムにしろ、星野源にしろ、草野マサムネにしろ、栗山英樹にしろ、また、身近な友人たちにしろ。自分はこれまで、たくさんの言葉に出会ってきた。そうやって今まで自分が出会ってきて、素敵だと思った言葉をちゃんと引き出しに仕舞えていることは、すごく喜ばしいこと。

やっぱり言葉は大切にしなきゃいけない。自分を育ててくれるものでもあるし、人に自分を分かってもらうためのものでもある。これからもたくさんの人の言葉をお借りして、出来る限りそれを自分の言葉に変換していく努力をして、美しい言葉の引き出しをたくさん持つ人になっていきたい。な。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?