芸術が分かるとか分からんとか。2024/02/09

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本、CD、特にアルバムなんですが、自分はそれらを電子版ではなく、物として持つことが好きです。

まぁもちろん本なら軽いネット記事とかで済ませたり、CDなら全部を全部円盤で買ってとまでではなかったりはするんですが、この人の作品好き!って思うものは本でもCDでも、物として持ちたいなと思います。

なぜこうしてCDとか、本とかを、電子で済ませずに物として持ちたいのかというと、それはもう、自分が好きだと思う人の思想というか、それによって生み出された物にこの手で触れて、見て、その物としての感覚を感じることに価値があると思うからということでしかないんですよね。

たしかに、本質的には本は文字を読むものであり、CDは音を聞くものなので、その目的を達成するためには本の中身である文字が読めればいいですし、CDの中身である音が聞ければいいわけです。そしてそれは、電子上で達成することが可能な世の中になりました。

ですが、なんというか、それだけでは伝わらない、「物に宿る価値」みたいな、もちろん無形のものなんですけど、あると思ってて。それはその作者の思いや熱量だったり、またはそれの重み的なものだったり、そういう、ざっくりとしたものに過ぎないわけですけど、そういうのを感じたい!と思うと、電子だけでは満足出来なくなっちゃうんですよね。

自分は「創作物」が好きなんだと思います。それも、自分が好きだと思う人が作り出したものが。

この、自分が好きだと思う人が作り出したものが、というところがわりと肝心で。創作物が好きだっていうんなら、じゃあいわゆる美術館とか、芸術的なものに趣向があるのか?というと、そこはまた違うんじゃないかと思うんですね。

それを作った「人」を知らない状態で何か創作物に触れたり見たりしても、何も感じない気がするんです。
でも一方で、自分が好きだと思う人の個展とか、それこそライブや講演会でもそうですけど、そういうのは絶対行きたいしめっちゃ好きな空間なんですね。

だから、誰か分からん人たちが作った何かがたくさん置いてある美術館とかは行っても「よくわからん」になって終わりそうではあるんですよね。

ただ、ここで思い出される言葉が1つ。

僕たちはみんな1人1人顔が違うように、1人1人の心、精神も違います。見えない精神、心を見えるようにすることが芸術です。

-J.Y.Park

そうなんです、彼が言うならそうなんですよ。
人というのは、目に見えて分かることより、見えていない部分、見えないところの方が大事です。人間は他人のそういったところを見る目を持たなくてはいけないし、逆に自分の中にある人からは見えない部分をしっかりと磨き、それを見えるようにまでしていかなければなりません。

そう思うと、そもそも「人」が分からない状態でその人がつくり出した創作物を見てもなんにも分かりゃしない、なんていうのは、自分の人に対する感性の低さを露呈していることになるのでは…?と思ってしまうわけですね。

たしかに、「人」を見て、その人の見えない部分を見ようとする、ということと、人がつくり出した「物」を見て、その人の見えない部分を見ようとするということは、別物のようにも思われます。
しかし、感性の問題として、そういう側面から人を見る視点を持っておくというのは、人間としてのレベルを上げる上では、そんなの不要だとは言えないんですよね。

なるほど、困った困った。
果たして自分は、その人に関する前提が0の状態で、その人の創作物を見て、触れて、その人が持つ見えないところが果たして、見えてくるんだろうか…。体験してみたい。

芸術が分かるとか分からんとか、「んなもん分かるか!」と思ってたけど、そうとばかりも言ってられないぞ、こりゃ。

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