手を挙げた後にある、「なにか」。


授業中、手を挙げた。しかし、出てきた言葉は「すいません、なにもありませんでした。」


これとおなじで、SNSで発信して、ツイートをバズらせるにせよなんにせよ、「なにか」がある必要があると思うんです。


インフルエンサーに乗っかってツイートをバズらせることは「手を挙げる」こと。まず自分はここにいるという、存在証明をして気づいてもらいます。そこで初めて自分が認知され、「なにか」を知ってもらえます。

しかしここで、「なにか」を持っていないと、なにも起こりません。「あ、なんかいる。」で終わってしまいます。


「なにか」はなんでもいいんですけど、自分のコンテンツというか作品を、持っている必要があるんです。ここを怠っていると、堂々巡りをしてしまう気がします。と、堂々巡りをしているぼくが思ってます。


中身がないなら手を挙げるな!と言いたいのではありません。存在が認知されないことほど辛いことはないですから。

だけど、「手を挙げる」という手段に気をとられ過ぎてしまうと、めっちゃ手は挙げるけどなにも言わないという、意味わからない状態になってしまうので、忘れてはいけないなぁと。


他人に乗っかるだけではなく、オリジナルを持つということ。なんてことを、あいまいに頭のすみに残しておきます。

読んでくれてありがとうございました。また読みにきてください。