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近況報告。独り言みたいなブログ。吐き出す場所が欲しかった。自己満。心がめちゃくちゃなので文章変でも許して。

俺の父は和歌山で飲食店を営んでいた。コロナ禍よりも前から人手が足りていなかったので俺はその店を週3日手伝いに帰っていた。普段は大阪でも働いているし正直休日はバンドでのイベント、ライブで消える。それぐらい忙しかったし休む時間が無かった。そんな生活が3年ぐらい続いた。だが料理を創るのはそこまで苦では無かった。接客業も楽しい。自分に向いている。と前向きに頑張っていた。ある日、両親から1本の電話が入った。

父が膵臓癌と診断されたらしい。2021年の3月に発覚、ステージ4という治る確率はゼロに近い状況。衝撃が大きすぎて3月頃の事は殆ど記憶がなかった。そんな状況でも親父は諦めずに免疫力向上やがん細胞について沢山勉強していた。でも当時投与していた薬が思った以上にしんどかったらしく緩和治療に変えたがじわじわとがん細胞が身体を蝕んでいった。好きなモノを食べれなくなったり、地面を這いつくばらないといけないぐらい歩けない体になったり。苦しんでる顔を見るのがとても辛かった。そんな状態でも親父はとにかく生きようと一生懸命に頑張っていた。

でも先月の12月下旬、年末家で過ごそうと話していたが体調が急変し即入院。その3日後に帰らぬ人となった。良い親父だった。本当に。バンドの事も自由にやらせてくれた。俺めちゃくちゃ愛されてたんだなあって思った。そんな親父の最期に立ち会えなかった。間に合わなかった。ごめんなさい。本当にごめんなさい。看護婦さんから「もう家族に会えんのかな」と言っていたと聞いた時本当に辛かった。苦しかった。泣いていた母は葬儀の電話をするために席を外した。病室で親父と2人きりになった途端。涙が止まらなかった。一生分の涙というぐらい。それぐらい止まらなかった。

父の尊敬してる人が「亡くなった人の事をずっと想うとその人は成仏出来ない」と言っていたらしい。苦しんでたあの人をずっと見てたから  少しでも楽になって欲しいから忘れようと思った。けどやっぱり無理。無理に決まってる。でも成仏してほしいからゆっくり休んでほしいから努力してみる。誕生日と命日は一緒に酒を飲もう。その日ぐらい思い出させて。


告別式で、次生まれ変わってもまた俺の親父になってほしい。それまでゆっくり休んで。たくさん愛してくれてありがとう。またね。と親父に話した。

ほんとうにありがとう。

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