経済としての金と、人望としての金。(Ver230318d)

イエスの言葉の中にもあったような気がするが、
「(経済的には)貧乏だが、金持ちが居ます。」
って感じの言葉があった。とうろ覚えしている。

これは、一種の「人望」を持っている人を、金持ちだとしたのかも。

何故なら、
普通の(経済的な)金持ちは、持っている金をバラまいて、
金を与えて、その代償として、他人(の行為)を突き動かす。

そして、
(人望としての)金を持つ人は、
持っている(他人からの)信頼などを元にして、他人を突き動かす。

人生は、どれだけの人数の人を助けたか?
等が重要とする向きもある。
それはそれで、妥当な話だと思う。

もうちょっと、アヤフヤに言うと、
どれだけ他人に喜ばれたか?どれだけ他人に感謝されたか?
そして、その他人たちから何かをもらって、どれだけ成長したか?
かも知れない。

これ以上は、うまく言えない。
ユダヤ人が信奉している旧約聖書にも、
「コヘレトの言葉」の中あたりで、
>貧乏人だったが知恵者の人間が、街に襲い掛かった暴力者を追い払った。
>多くの人は、彼(知恵者)が貧乏だったせいか、
>あまり感謝など見向きもしなかった。
なんて、くだりがある。

それはそれで、面白いのではないだろうか?