(240918a) (僕も同じだけど)「他人に助言する時は一緒になって苦しめ!」が、実は正しい。と思う。


ある垢のある記事で、次の様な趣旨の書き込みがありました。

  当たり前のことを当たり前だと思っていると
  当たり前でなくなります。
  健康、人間関係、経済状況…
  「当たり前」という慢心から全て失った経験がある。
  「当たり前」という慢心に対する対策は、感謝と謙虚さでしょう。

という趣旨の書き込みがあった。

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●まず、言葉の解説など、原文等参考資料が存在する内容の列挙。

●三法印(さんぼういん)と四法印(しほういん)。

( wiki-pedia )
※検索妨害、ブラウザHangUpで、wikiのアドレスを取得できず。
自分で調べてね。

持っている電子辞書の引用:
三法印(さんぼういん):
    仏教教理を特徴付ける三つの根本的教説。
    諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を言う。
    一切皆苦を加えて四法印とする。

四法印(しほういん):
    三法印に一切皆苦を加えたもの。

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
    万物は常に変化して少しの間もとどまらない。
    ※採りようによっては、「当たり前」など無い。
     当たり前と考える事自体が誤り。という意味。

「諸法無我(しょほうむが)」
    いかなる存在も、永遠不変の実体を有しない。
    ※僕はありとあらゆる名言が、必ず成り立つとは限らない。
     僕の経験から得た僕なりの解釈。

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」
    煩悩を断じた悟りの世界は、心の静まった安らぎの境地である。

「一切皆苦(いっさいかいく)」
    一切の現象的存在はすべて苦である。

偽善の心。ニセの善の心。顔を引き攣らせながら言う「きれい事」。

おためごかし。

●キング牧師の言葉の中で、実は矛盾する言葉がある。
言葉面を見れば判るかも知れないが、
事情や状況が違うのだ。要するに。

名言①
「大切な事なのに黙ってしまう事は、
 生きていても死んだのと同じである。」
         マーチン・ルーサー・キング(キング牧師)
原文①:
"Our lives begin to end the day we become silent about things that matter."
Martine Luther King Jr.

名言②:
「闇は闇によっては追い出せない。光だけがそれをなし得る。
 憎しみは憎しみによっては追い出せない。愛だけがそれをなし得る。
 」

原文②:
"Darkness cannot drive out darkness ; only light can do that.
Hate cannnot drive out hate ; only love can do that.
"
これら二つの名言をよくよく検討してみて欲しい。
①は、悪に対して沈黙してはイケない。非難しろ。と言っている。
②は、憎しみに対しては憎しみは効果がない。愛だけがなし得る。と言っている。
これは、今の僕たちの事情に似通っていないだろうか?
①は、非難しろ。沈黙するな。と言っている。
②は、非難するな。愛だけがなし得る。と言っている様に聞こえないか?
つまり、
大雑把な事情では、同一人物の名言でも、この様な正反対の言葉がある。
この矛盾などに関しては、僕はイエスの言葉でも見い出している。
(と僕は思っている)

この矛盾をあなたはどう考えるだろうか?
僕なりにだが、要するに、事情や目的や、何らかの状況や前提などが
違うと僕は判断している。
結果論になるが、その助言や対応が正確である場合は、
ほぼほぼ、当人(相手)が感謝して飛び付く類いの言葉かどうかだ。
何らかの事情の考察が足りない場合、これは違う!、となって来る。

この事が、今の僕たちの間に起こっているのでは、無かろうか?

キング牧師の言葉の矛盾点など。
(その解説)

それと、一通りの名言を考えているだけでは、
その前提や事情をズラした状況に追い込まれて、
あなたは悪に染められ、悪に呑まれるだろう事は、忠告できる。

●エレナ・ポーター(アメリカ、小説家、作家)
 「少女パレアナ」(たしか原文タイトルは「Pollyanna」)
 この物語のアニメは、数十年前の日本の子供向けアニメで存在する。
 その日本版アニメのタイトルは、
 「愛少女ポリアンナ」だった。

このお話の主人公パレアナ(ポリアンナ、Pollyanna)は、
「苦しい時、ツラい時、に、
 その中から、自分の心から良かったと思える事を探すの。
 そうすれば、その苦労や苦痛や逆境に対する感謝が生まれて、
 少し楽になって、頑張れるわ
 」
という趣旨の事を言って、
周囲の人間たちを巻き込んで、
苦痛と苦労と逆境を乗り越えて成長してゆく、お話です。

辞書などで調べれば判るが、
このお話は、実は、かなりかなり昔のアメリカにおいて、
超有名になった事があるお話(寓話?)で、
アメリカにおいて、その当時、大ブームを起こした事があります。
ただし、あまりに強烈だった為に、
途中から、多少の誤解と多少の適用しすぎ、から、
濫用が起こってしまい、逆効果などの弊害が発生して、
ブームは消えたそうです。

僕が推測するに、この大ブームが消えてしまった原因は、
「おためごかし」「偽善」「(自分の心で本当には思っていない事)」
が、混ざり込んで、
逆効果などの弊害が発生した、と、僕は推測しています。

この原典の言葉自体は正しかったが、
適用する段階で、アメリカ人に「濫用」が起きてしまった。
その事で、ブーム自体が消沈してしまった。
この言葉ではダメなんだ。と思われてしまった。
たぶん、本当の事は、「この言葉がダメだった」のではなく、
「【濫用が起こった為に】この言葉の趣旨に対して誤解が広まった」
のだと思っています。

その濫用の最大のポイントは、
「おためごかし」「偽善」「自分の本当の気持ちでない綺麗事」を
混ぜ込んだせいだと思っています。

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●コメントや考察。

逃げても彼ら(攻撃者)は基本的には追い掛けてくる。
たぶん追い掛けてこない例があるのは、
彼らが「こいつらはもう何時でも怯えさせる事が出来る」と
判断したからだろうと、僕は思っている。
僕はそう判断している。
一言で言えば、術中にハマり所有物扱いされていると言うワケだ。


リラックスが出来たと思った瞬間に、
間髪を入れずに、即座に、ノイズや大声や奇声が聞こえる。
あなたにはあるまい。
僕はそれを24時間、数年クラスの期間を、ぶっ通しで、
受けている。こんなんでリラックスできる筈もないだろう?
あなたは田舎で気楽でいいよな(???)。つまり、状況が違うのだ。

24時間をぶっ通しで、数年間を、
ストレスまみれで暮らしている僕の事情を
あなたでは?、考慮しきれない。
昔在っただろう?
本当に良い言葉は、
相手(当人)が、
「それは良いアイディアだ」と是認し歓迎するモノである。
相手が嘘をついているならばともかく、苦しんでワラにもすがりたい人は、
本当の助け船が来たと思ったら、感謝して飛び付くだろう。
あなたの言葉では、それが起きていないには何故?

でも、あなたも努力しているだろう事は見て取れる。

ただ、あなたは良いモノを出そうと努力している事は理解する。
しかし、結果として的外れだった場合、どうなる?
相手の判断が正確ならは「これは違うと思う」とならないか?
相手の判断が不正確な場合は、「ありがとう」になるかも???

よかった捜し(Glad Game)が成り立たなくなるケース。
偽善やお為ごかしを混ぜた時。だと思う。

全ての事は当たり前ではない。(「諸行無常」)(しょぎょうむじょう)
全ての言葉には実体がない(「諸法無我」)(しょほうむが)
???(「涅槃寂静」)「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)
???(「一切皆苦」)(いっさいかいく)

全ての事は当たり前ではない。
=>「諸行無常」という言葉がすでにある。

感謝と謙虚。
=>偽善やおためごかしから言っても、価値はなく、むしろ逆効果。
当人が心から(本心から)言っていない事柄は使い道が無い。

あなたには逃げ場やリラックスする場が在るようだが、
僕には無い。つまり、状況が違う。
だから、一人一人の状況に合わせた正確な言葉でなければ価値がない。
僕には、毒をデトックスする余裕も暇も、与えられなかった。
あなた、君とは違う。

感謝と謙虚

自分の心の許容量(キャパシティ)の範囲内で、
例え悪い事でも許してやり、是認できる事はあるだろうが、
これは許容量内の範囲でしか成り立たない概念だ。
つまりその人のキャパを越えた悪を許して受け入れれば、
こんどは悪に呑まれる。それをあなたは考えていない。
これでは価値がないのは、ウスウス判るだろう。
今のあなたは、あなた自身だけでは成り立っている事を、
状況が違う人に、それを説教し「こうしろ」と押しつけて、
逆にその人を躓かせるケースが出てくる事を計算して居ない。

確かにあなた自身では、今の所成り立っている法則だから、
相当に汲むべき所はあるのは事実だが、
そのような事を考えている?

例え、毒親を許せるようになったから、僕はとても正しい。
ならば、何故過去の人生においては許せなかった?
何故?過去において、あなたは毒親を許すべきじゃあなかったの?
何故言い訳を繰り返したの?何故拒絶したの?

許容量と余裕がなかったからじゃあないの?
状況が異なっていて、
成り立つ筈の言葉が現実に成り立たなかったから
じゃあないの?

許容量と余裕がある人には、多少の悪人は確かに許せるだろう。
だが、許容量と余裕を徹底的に削り取られた人が、もし悪人を許せば、
悪に呑まれる事になる。
それをあなたは判っていないようだ。

「よかった捜し(Glad Game)」は、
昔のアメリカで大ブームを起こし、しばらくは保てたが、
やがて破綻した考え方。

これは、たぶん偽善で考えると破綻する考え方。だと思う。

逆境・困難から逃げおおせる事に成功した人と違って、
・ムーンショット技術で、年がら年中思考妨害思考介入を受け、
 考えている事のほとんどを読み取られている人の事情を考えていない。
・アパートではお二階さんの騒音妨害で、年がら年中ストレスまみれ。
・アパートを出て、買い物に行っても、バスの運ちゃんと乗客は嫌がらせ。
 店舗へついても、店舗で嫌がらせ。
・僕のどこにリラックスする余裕があると思う?
・僕と同じ状況に陥らない限り、
 あなたは僕への正確なアドバイスは出来ない事を知らないようだ。
・僕の中へねじ込まれた毒などを、吐き出す場所が、僕にはほとんど残っていない。あなたとは事情が違う。
・あなたは逃げて、その上、毒素を身体からデトックスできたから、
 だから、言える言葉である事に気付いていないと思う。

※あなたは(偉そうに他人にアドバイスする前に)
 他人と全く同じメチャメチャ苦しい状況に落ち込んで、
 同じ苦しみを分かち合って、そのメチャ苦しい状況の中で、
 あなたが的確な判断を下した【時のみ】において、
 あなたは他人に正確なアドバイスをする事が出来る。
 だから、
 過去に非常に苦しんだから、もう自分は悟っている。判っている。
 と考えるのは、実は、すごく浅はかな事だと思います。

簡単だが、どぎつい言葉で言えば、
「他人へ、本当に効き目のある言葉を与えたければ、
 (他人と同じ状況で)【あなたも苦しめ!】
 同じ苦しみを共有していない人間の言葉は、
 (うまくは言えないが、
  どこかにアゴで他人をこき使う様な軽薄さがある
  )
  軽薄で浅はかな言葉に過ぎない。
 」

自分は苦しみを脱していて、そして悟っているから、
自分は他人に的確なアドバイスが出来ると考えるのは、
すごく浅はかな事だと思います。
何故、四法印において「一切皆苦」が追加されているか?、を、
あなたは全く理解していない。と思います。

など

誰かにアドバイスをするならば、
相手の置かれている状況を正確に理解して、
その状況で成り立ちうる事を
アドバイスする必要がある。
あなたは、自分の事情で成り立つ法則を、
違う事情でも成り立つはずだからと、説諭している。
状況の考慮が正確ではない。これに尽きる。

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●考察など検討した内容。

ああせい、こうせい、と命令されれば、反吐が出る。
僕もそうだし、あなたも、そして誰でもそうであろう。
だから、(悪い意味での)説教をされて、
あまり喜び切れてはいない。
 それは、事実として伝えておく。

僕の感じる所に依ると、
それ(説教)は、僕の事情を正確に反映した言葉とも、
思えていないのも、事実。
それは、判って欲しい。

警告やその他臭わせには、感謝している。
いきなり切り捨てていないから。

それはあなたの善意なんだよね!

楽しかったよ。
その点では感謝している。
ありがとう。

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今回の文章が、超長いのは、
オフラインのワープロもどきで推敲した文章をコピー&ペーストしたから。

長い文章で、かつ、不満をぶちまけてゴメンね。
でも、僕が思っている事でもあります。

以上です。

もし気が向きましたらサポートをお願いします。 サポートして下さる場合、今の所、どう役立てるかを考えていません。 本?教養?などに役立てるかも知れません。 とにかくありがとうございます。m(_ _)m