(240114a) 宗教に於いて実際に起きている事。
title : 宗教において実際に(本当に)起きている事。
※ 人々が【本当の(偽物でない)平安の中に】居られます様に。
※ この文章は、
【宗教2世や毒親育ち(毒親の被害者)の人々を慰める】ことが、
主目的です。
だから、
【無意味に他人を攻撃する意図では無い】ことに注意して、
読んで下さい。
ここでの「他人」とは、
宗教1世や毒親や宗教信者を、主に指しています。
だから、人に依っては、
【「読まない」という選択肢も、また、在る。】
宗教の構造(特にキリスト教の例)。
神=(ウジ虫妖怪、呪術者、
人々を厄災に落とし入れる者。
忌み嫌われている者。
※だから、人々は、神(厄災の元凶)に近寄って来て欲しくない。
だから、人々は、神に捧げ物などを贈って、
厄災に遭わない様にしている。
信者を辞めた人や、非信者や、神から嫌われた人は、
試練の名の下に、神が近寄ってきて、厄災に見舞われる。
その時、大抵の人は、厄災に会いたくない。
だから、神にコビを売って、屈服して、
厄災を逃れる。神様に遠ざかってもらう。
たまに、根性のある人が居ると、自分に非がない場合、
頑として(厄災に会っても)自分を曲げない。
だから、信者を辞めても、それを撤回したりしない。
撤回しなければ、神が近寄ってきて、厄災には遭う。
そんな事を繰り返す内に、宗教で実際に起こっていた内容に、
気付くようになる。
それが、この内容。
)
信者=(ウジ虫(神)に、「近くへ来ないで下さい」と、
懇願している人たち。
その為に、捧げ物を出している。
その捧げ物には、
自分達が他人から盗んだ品物(泥棒を働いて得た物)や、
ヒドいモノになると、
自分達の子供を生け贄として捧げる事すらある。
もちろん、子供たちは、タマッタモノではない。
だから、神(ウジ虫)や
親(子供を捧げ物・生け贄に差し出した張本人)を、
恨むようになる。
)
非信者=(妖怪ヤハウェ(JHWH)のエジキ。
心が安まらない。
ヤハウェと戦うしか方法がない。
神(ウジ虫)が近寄ってくる為に、
様々な厄災に遭遇する様になる。
それで挫けてしまって、神に媚びる様になると、
状況は暗転して、同じ事を繰り返す様になる。
しかし、
挫けないで、屈服しないと、
ツラい事には遭遇するが、
良い事が、ほんの少しずつ、本当にちょっとずつだが、
起こり始める。
)
天国=(神(ウジ虫)が寄り付かない世界。
もしくは、神が、ワザと近付かない世界。
神(ウジ虫)が許している者たちの世界。
厄災が降ってこないから、
厄災(神)が近寄ってこないから、
不安、憂いが無い。
)
地獄=(
神(疫病神、厄災の元、ウジ虫)が、そばに居て、
厄災が頻発して、
神(疫病神)が、チョッカイを出してくる世界。
不安や憂いで、イッパイの世界。
神(妖怪)と戦わねばならない世界。
)
平民など:(
つまり、弱い者たち
平民は、イヤガラセを嫌うから、
捧げ物をドンドン持ってきて、
妖怪ヤハウェは、「丸もうけ顔」というワケ。
ヤハウェ(JHWH)は、益々(ますます)肥え太る。
という構造的な理由。
)
宗教2世の構造:
宗教1世(毒親)に、神への捧げ物(生け贄)として、
神へ売り飛ばされた存在。
神や宗教1世から、散々な目に会わされている。
当然、神や宗教1世に、恨みを持っている。
)
聖母マリア=(
自分の子(イエス)を、
クズ妖怪ヤハウェに、我が子を売り飛ばした。
毒親の元祖的な存在。
マリアが優しいというイメージは、
酷薄で冷酷だったマリアに、ヒドい苦労をしたから、
イエスが優しくなった。
そのイエスを見た周りの人が、
「イエスを産むような人は、優しいに違いない」という
思い込みに過ぎない。
実際に、身の回りで、優しい人の生い立ちをよく見てみなさい。
親や友達など、つらい環境で育った人達ばかりです。
だから、
聖母マリアが優しいというのは、
とんでもない誤解。錯覚。
イエスが優しいというイメージが、
マリアに投影されただけの、錯覚に過ぎない。
)
読み人に依っては、ヒドイ文章であろうとは思います。
そこら辺は、適当に、あしらって下さい。
以上です。