(240429a) 善しか知らない善は弱い。悪も知っている善は強い。

汚らしい人やモノを、「ダメだ」として相手を知ろうともしない。
これは、一つの軽蔑や嫌悪から来るのだろう。

「蛇の道はヘビ」である。
だから、悪人だから、汚らしい救いようも無い人だから、・・・、と
それらの人やモノを、自分の中から追い出してしまうのは、
あまり好ましい選択ではない。と思う。

可能である範囲ならば、
【それらの汚らしさに自分が負けてしまわない】なら、
それら(:汚らしい人やモノ)を排斥せずに、
じっと目や耳で見たり聞いたりして、
正直に、誠実に?、観察する。それも、良い事になると思う。
何ごとも、修行である。何ごとも、経験を積む事である。

(汚物や悪など)「汚」を知っている(清浄や善など)「清」は、強い!
「清」しか知らない「清」は、弱々しく頼りない!

だから、「汚」を知ることも、
(自分が汚に負けない範囲で、汚に支配されない範囲で)
「汚」を知る事は、結局、自分の強さを増し、
自分の安全を更に高めるだろう。

もちろん、「汚」を知ろうとして、「汚」に負けてしまっては、
単なる笑い話になってしまうが、
「清」を保って「汚」を知った人は、更にその「清」を高める事が出来る。
と思う。

うまく、解説できずに、
同じ様な事を、グダグダと言ってしまったが、
前述の様な事を言いたかった。

「闇」を知っている「光」は、強い。
「闇」を知らない「光」は、弱々しい。

まあ、そんな感じです。
難しいですよね。

以上です。