(231230b) (毒親など)性格が悪い人間にならない為の方法論の一つ。

僕が、今回、ここで述べる方法は、要するに、
「蛇(じゃ)の道(みち)は蛇(へび)(に聞け)」
である。

ふと考えていた。
「俺って、どうしようも無い人間だなー」
って。
でも、俺にならば、
誰かが俺と同じどうしようも無い人間に成らない事の
手助けが出来るかも知れない。とも思った。

どうしようも無い奴の方が、
どうやってどうしようも無くなったかを、よく知っていると
思う。

だから、(あくまでも数ある方法論の内の一つだが)
どうしようも無い奴に成りたくなかったら、
どうしようも無い奴を誠心誠意庇って、感謝を受けて、
そいつを味方に付けて、
そいつに、どうしてそんな風に成っちまったか?を
教えて貰う事じゃ無いか?
とも思った。これは、あくまでも、一つの方法論に過ぎない。
だから、絶対にこの方法しか無い。というワケではない。

一般に、人生などで、ある不具合などに襲われない秘訣を、
それ(災難や不具合を)自ら経験せずに、かつ、
他人から教えて貰わずに、自分の(他人に関する)想像力だけで、
気付く奴は、非常にマレだ。事実上は、この方法は役に立たない。

だから、
カッコ悪くなりたくない奴ほど、
カッコ悪い奴を庇って味方に付けて、喜ばせて、
その、どうしてカッコ悪くなってしまったかを、
聞き出せれば(味方に付ければ)、
その人はカッコ悪くならなくて、済むかも。

そして、(ありガチなのが)
カッコ悪いからと言って、嫌悪して排斥する奴ほど、
同じ落とし穴に落ちて、カッコ悪くなって行くのかも知れない。

この方法論が、仮に、毒親に成らない為の方法論として使えるのならば、
憎い毒親を(なんとか?)味方に付けて、彼ら毒親を救い出す事。
つまり、「火中の栗を拾う」真似をする事が、
最も効果的なのかも知れない。

しかし、感情的に、そして現実的に、この方法論はかなり困難が伴う。
だから、要は、
自分が彼ら毒親と同じ轍(てつ)を踏まなければ良いのである。

それに、この(毒親の)ケースに関しては、
彼ら毒親に親身になっていく内に、自分も同じ落とし穴に落ちたら、
意味ないけど。

ダラダラと書いてしまったが、一言で言うならば、
「蛇の道は蛇」である。という事なんだと思う。

以上です。