(230625b+) 創価学会信者に関しての論評。

今まで、吐き気がする程、
創価学会から(としか思えない)嫌がらせを受けた。

そんなこんなする内に、創価学会について色々感じた。
創価学会に関しての論評をして見たいと思う。

彼ら信者(創価学会学会員)は、
池田大作から次の様に教えられているという。

・(学会員)信者であると周囲の人間に悟られるな。
 つまり、創価学会信者と打ち明けるな!と大作から訓戒されている。
 この教えの為に、創価学会学会員は、学会員が悪い事をやっても、
 一般人からみれば、突然、災難が襲った様に見える。
 理由や根拠が判りづらい。
 さらに、悪い事をしている学会員を捕まえたくても、
 誰が学会員(信者)だかが判らない。

・仏敵を七代地獄へ落とせ。(池田大作談。だそうだ)
 ※「仏敵」とは、彼らの基準に従えば、
  創価学会員以外の全ての人間である。
  つまり、池田大作の教えを聞かないモノ全てを仏敵と呼んでいる。
  少々呆れるが、彼らはそんな感じである。

・犯罪(嫌がらせ等、ターゲットを裁く行為)を犯しても、
 その犯罪でで、警察などに捕まらない様に工夫しろ。
 つまり、彼ら学会員は、正々堂々と(悪い事に対する)罰を受ける気が
 サラサラ無いのである。
 なんと言えば良いか?
 ただただ卑劣で卑しいとしか言えない腑抜けぶりである。
 彼らは自分のやった事(犯罪行為)を公開して判断されるのが怖いのだ。

・周囲の人間の個人情報を、学会員で共有して、
 つまり他人の秘密をコソコソ探り、それを信者で共有して、
 犯罪に利用している。

集団ストーカーを受けた人達が調べただけでも上記の様な事があった。
これらの事から、
彼ら信者に関して、思う事がある。
・彼ら信者の人間としての恥がどこに付いているのか?
 それが全くわからない程、究極の恥知らずである。
・集団ストーカーなど集団虐めを平気で実行に移すという心。
 おおよそ完全に破壊された破綻した心である。
・集団プレー(サッカーの様な組織プレー)を実行し、
 しかも、周囲から隠れていて被害当事者にしか判らない様にやっている。
・彼ら信者において、人間としてのタガ(最後の砦)が、
 信仰で代替しているとは、到底、思えない。
 あれだけ恥知らずな行動を採っても、恥を感じて思考力が鈍る事が無い。
 驚くべき事に。
 その証拠に、あれだけの悪事をしかも集団で考察して実行している。
 つまり、組織プレーという頭が回転しているのである。
 これだけの悪い事をすれば、普通の人間ならば、
 例えどの様な信仰に於いても「これは変だ」と気付く筈なのに、
 彼ら信者は、それを思わない様である。これは不思議である。

以上の様な事から、
僕は、こう思う様になった。
これは【信仰ではない】。
大作のヒドイ卑怯さと醜さに、【絶望して屈服している】のでは?
と思っている。
信仰ならば、あまりにヒドイ事をすれば、気付いて止めるが、
大作への屈服ならば、気付いていても、考えて実行できるかも知れない。
つまり、
大作が居る限り(例え死んでいても、その影響力が実質的に居る限り)
「自分達信者に、マトモな世界はやって来ない」という
(信仰では無く)絶望である。
と推測される。
大作の奴隷(犬)に成り下がり、大作に降伏している。
信者は、(大作の)犬である。

彼ら信者は創価学会を宗教と名乗るが、
これはカルト宗教の枠にすら入らない。
これは宗教では無い。と考える。
これは信仰では無い。絶望という屈服である。
と思い予想する。

以上の様な事を考えている。

以上です。

追加です。(2023/06/26 - 7:50 頃)

彼ら信者には、自主性が感じられない。
もし自主性があるならば、あまりにヒドイ内容を信じろと強要すれば、
人間として、当然、反発が出て来る筈。
「こんな内容では我々(信者)の不利益になるではないか!」という
自主性。
ここまで、露骨にヒドイ事を言っているのに、それに気付かないのは、
本当に不思議である。
その点では、彼ら信者に自主的な信仰など在りはしない。
だから、彼ら信者の感覚がどの様であるのか、本当に興味津々である。
どれだけ異常な事を強要されても、それに黙って従うのかが、
ある意味、見ものである。
普通の人間ならば、とっくの昔に、大作への信仰を投げ捨てるだろう。
なのに、彼ら信者はそれをしない。本当に不思議である。
だから、彼ら信者には、本当の自主性というモノが無い。
それは断言できる。

以上です。




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