「責める」だけが悪を消す手段ではない。(Ver230526b)

好ましくない事が、世の中には多々あるのは、確かだ。

では、その好ましくない事(悪事など)を、責めれば良いか?
これは疑問が残る。
「責める」のは、若いからだけかどうかは、判らない。
要は、その好ましくない事を、消したり、やらなくなれば、良い。
その為には、責める事(追及する事)も、手の一つだとは思う。
でも、敢えて(ワザと故意に)責めないのも、一手では無いだろうか?

僕も、若い時は、「これは、悪い事です!」ってのが在ったら、
「ダメだ」「絶対イケない。良くない」と、自分や他人を責めたモノだ。
でも、要は、直れば良いのである。
その為には、あえて責めない事も、手段の一つだと考える様になった。

では、何か?自発的に、その悪事を為す人が、止める事である。

または、こちらから、誘導する事。直接、口に出しては責めないが、
「こんなのは、どう?」と、こちらから多少積極的に行動する手もある。

要は、その悪事を止めれば、無くなって不具合の結果が生じなければ良い。

その為の手段は、相手を直接責めて追及するダケではない。と思う。

うまく言えない。

でも、一番思う事は、
「要は、その悪事などの不都合な結果が、影響しなければ良い。」
と思う様になった。なれた。

繰り返しになるが、その為には、
「(相手を)責める」だけが手段とは限らない。と思う。

うまく言えないが、
以上で終わります。