(230812a) マネー主義と自然(?物々交換?)主義。

マネー(お金)は、自然が造り出すモノではない。
人間が自分達の都合や利便性の為に、人間が造ったモノだ。

お金を稼ぐ必要があるならば、お金は自然から得る事が出来ない。
自然が造り出すモノは、食料や衣料品や建材など生活資材である。

よくよく考えてみれば、当然の事ではあるが、
【「お金(マネー)」は、人間が造り出したモノ】である。
自然が造ったモノではない。
だから、
【自然の中で(農作業など)労働をしても、マネーは絶対に得られない】。
マネーを得るには、そこに(お金を持っている)人が介在する必要がある。

それ(マネー主義)に対して、自然(物々交換)主義では、
ヒマさえあれば、自然の中で(農作業など)労働して、
食料や衣料などを得る事が出来る。
マネー主義だと、生活する糧である「お金」を得る為には、
マネーを持っている人から(他人から?)貰う(稼ぐ)必要がある。

今の日本の状態は、
老人や障がい者などは、無職に追いやられ、低収入に追い込まれている。
ヒマは持て余しているが、お金が無い為に、生活(食事など)は苦しい。

マネー主義に於いては、
販売価格の設定次第では、莫大なお金を不当に搔き集める事が出来る。

例えば、銀行などの金貸し業の人間は、
基本、自然の中では一切労働していない。
人の労働力に寄生して、その資材をマネーで供給する事で、
人を利用して、その利ザヤで、金貸し業の人間は、生活している。

他には、例えば、販売価格の設定を、
世界中の人が使う(OSやPCなど)において、
そこそこに高い価格を設定する。
そうすれば、その売る側の要求額を世界中の人間からマネーを掻き集める。
だから、その搔き集めた額は、膨大な儲け(利ザヤ)になる。

それに対して、
自然(物々交換)主義に於いては、
そんな莫大な利益を得る事は、たぶん、出来ない。
せいぜい、地主など、生活空間を、「俺のモノだ」としている人間たちが、
マネー主義ほどの莫大な稼ぎでは無いが、そこそこ、おいしい目をみる。
その程度が、せいぜいである。

だから、
マネー主義というモノは、実は、かなりイビツな手法では無かろうか?

お金(マネー)が、全く必要ではないとは、言わないが、
お金ですべて解決するのは、我々の生活に、
凄まじい歪みをモタラすのでは、無いだろうか?

マネー主義が素晴らしい。と言うような人間は、いつも、
マネー主義で上手く立ち回って、莫大な金を得て、
自分達だけウハウハやっている様な奴だけ。
そして、お金を上手く搔き集めるどころか、
お金を奪い取られてばかりいる立場の人は、
マネー主義を素晴らしいとは、言わない筈だ。
理由は簡単、彼らは損をしているからだ。

何かモヤモヤとしている。
お金は食べられないし、衣料品にもならない。生活物資にもならない。
人間が直接必要とする、食料などでは、無い。
お金を生活の基準とすると、何か、人間の生活にイビツさをもたらす様に
思えてならないが、

いま一つ、頭が回転し切れずに、何かを思い付けない状態である。私は。

だけど、取っ掛りの気付きとしては、たぶん、正しい。
つまり、
マネーは人間が造ったモノであり、自然の中で働いても絶対に得られない。
そして、人間が生活するのに直接必要なのは、衣食住などの生活物資であり
マネーでは無い。
マネー主義は人間の間の取引に役立つが、その取引を歪める原因でもある。

等々に、気付いた。

皆さんも、この先の(僕達に役に立つ)ロジックを
皆さんも考えてみてはくれないだろうか?

とりあえず、

以上です。

(物々交換)主義って、つまり、「現物主義」ってことかな?