(230901d) イエスの言葉の内で、(変な意味で)引っ掛かっている言葉たち。

キリスト教でありさえすれば、誰でも救われるか?
に対して、イエス自身が、明白に No を言っている箇所。

それと、宗教とは、一種の軍隊と似ている側面を持っている事。

イエスが来た目的は、平和ではなく、戦争や争いをもたらす為だ、
と、イエス自身が明言している事。
変だとは思いませんか?
宗教って、みんなが平和で幸せになる為に、宗教へ入るモノでしょう?

これだけの文章があるのに、
キリスト教に、入信している人たちは、ある意味オカシイ。

僕の場合、平和が来て欲しいし、自分が幸せになる為に、宗教をやっている。
だから、キリスト教は、その目的にはそぐわないのかも、知れない。

これらのイエスの言葉を聞いても、オカシイとは思いませんか?

そう思いませんか?



マタイ 7-21 ,22,23
「わたしに向かって、『主よ、主よ』言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。

そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」





マタイ 8-05,… 13
さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、

・・・

すると百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」

わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。

イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。

・・・

そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。





マタイ10 - 34, 35, 36
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。

わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁をしゅうとめに。

こうして、自分の家族の者が敵となる。




とりあえず、

以上です。