(241105a) 「全知全能の神」の前提から発生する結論????【閲覧注意!信者の人は見るな!】(これこそが矛盾を引き起こす)。

【閲覧注意!信者の人は見るな!】
【『一神教信者』は、この記事は見ない方が良い!】
【神からのヒドイ試練に晒されるだろうから!】


「全知全能の神」という言葉を時々聞くだろう?
何でも知っていて、何でも出来る。
という、便利すぎる、あの言葉だ。

しかし、もし、全知全能の何か(ここでは、神?となるのか)が、
もし存在したとする。
そうならば、
善い神様ならば、世界には悲しみなどは起こらない筈である。
だってどんなに人間が劣悪な存在だったとしても、
それをカバーできる程の、全知全能なんでしょう???

その事(世界に悲しみは起こらない事)は、
どう見ても、現実世界では、起きていない!!!。
従って、この矛盾を説明する為には、
その矛盾を引き起こす原因のロジックに嘘(事実でない事)が存在する。

従って、神は、全知全能でも無いし、善神でも無い!
そういう結論に成らないか?

全知全能という概念自体に、結構、矛盾が有るが、
ハッタリや脅しや恫喝の材料としては、けっこうカッコウの材料である。


全知全能とは、
この世界で起こる全ての事について、
(責任をとる事が出来る)責任がある、
という結論が発生する!

従って、
悪魔が(あなたの前に)現れたら、
それは、全知全能(の神)の意志である。という事になる。
他の魂(例えばサタンとか全知全能の神とか)の許可では無くて、
(全知全能の)神の、神本体の意志である。
その筈である。

例えば、全知全能ならば、その人が何らかの試練を受ける必要など無い。
何故ならば、全知全能ならば、
「その試練を超えられる人(魂)か、そうでないか、が、判別できる」
筈である。だからだ。
何故?「試す」のだ?
それは、「試す必要が在る」からに他ならない。
つまり、試す人(神など)でも「判らない!」。
だから、「試す」のだ。
その程度は、少し考えれば、判るだろう。

従って、全知全能の神という前提が正しいならば、
「試練の存在は必要ない」ことになる。
試さずとも、それが判れるのが「全知全能」という能力だからだ。

まあ、色々と書いてしまったが、
従って、「全知全能」という言葉を使う神様が居たとするならば、
それは、紛れもなく「ハッタリや恫喝」である。
そういう結論になる。


色々と、この記事(前述の文章)には、言いたくなる事も多いだろう。
でも、落ち着いて、冷静に考えてみる事を勧める。
そうすれば、イヤになる位に、判るだろう。

ただし、言い添えておくベキ事が在る。

神は全知全能では無い、が、
それはそれは、「ヒドイ嫌がらせ」が、出来る妖怪なのだ!
僕たちを地獄と呼び得る、それはそれは酷い状態に追い込む事が可能だし、
僕たちの命を奪う事も可能ではある。

単に、全知全能では無い!という事である。
この世に関しての認識として、
「一神教、唯一神」という概念は、完全な間違いや完全な嘘である。
でも、あなたを含めて、人間が仕えうる主人(神)は一人しか選べない。
そういう意味では、一神教や唯一神という考え方も、また、正しいのだ。

僕たち人間の心や頭の中には、何人もの魂がゴッチャに住んでいる。
言い方を変えれば、僕たち人間は誰しも「多重人格者である」のだ。
多神教という概念は、どの神の言う事を訊いて良いか、が、判らないだろ?
だから、一神教という概念も、別に、異常なモノでは無いのだ!
ただし、現実の認識としては、一神教・唯一神という概念は、完全な嘘だ。


だから、僕たちもつけ上がっては、イケない。
神さまが全知全能で無いから、といって、
あなたがつけ上がる根拠には、成らない!
だからだ。

まあ、そんな感じなんです。

以上です。

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