(240219b) イエスの言葉のおかしい点。矛盾にあふれた言葉たち。

新約聖書 マタイ 10-34,…,39

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。

わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。

こうして自分の家族の者が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

自分の命を得ようとする者は、それを失い、
わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。




この箇所は、かなり多くの矛盾(と言えるだろう)に溢れた箇所である。

宗教は、うまくこの世で生きて行く為に、
みなと仲良く平和で暮らす為に、
宗教をするモノである。つまり、自分にメリットがあるからしている筈だ。

しかし、
ここでイエスは明白に、
「戦争をもたらしに来た」「剣をもたらしに来た」と
言っている。

こんな宗教(キリスト教)の信者は、
「世界に平和が溢れます様に」
などという張り紙やプラスチックのプレートを、街中のアチコチに
張り出している。
これでは、この張り紙「平和が溢れるように」は、
大ウソでは無いか?

イエスはこんな事を言っているのに、
それに気付いていない様である。
彼ら信者は、まるで、催眠術にでもかかっている様に見える。

聖書絡みの宗教は、得てして、戦争を好む記述がよく見当たる。

イスラエルが今、ガザに対して、派手な虐殺をしている。
結果は、どうなるのだろうか?

戦争と虐殺をやった方が(イスラエル)が、勝つ?正義となるのだろうか?
それは、とんでもない、矛盾である。

イエスの言葉は、実は、矛盾だらけである。

こんな事が在るから、だから、
僕は、鵜呑みにするな。信じるな。と言っている。

本当にヒドイ矛盾である。

これらの言葉を、信者や一般人は、【よくよく検討すべきである】。

とりあえず、

以上です。