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「お金が回る仕組み」を創る

今年の自分の目標は、「お金が回る仕組み」を創ることである。
そこで今回は、お金が回る仕組みとは何かを具体的に考えてみたい。


なぜお金を回る仕組みを創る必要があるのか?

これまでの社会は、明治維新後の国民国家という思想で、中央集権型で機能をしてきた。しかし、バブル崩壊後の30年間で国家が主導して経済を立て直すことは出来なかった。

そのかわりに民間企業、さらに個人レベルでの活動で、都市や地域が活性化するような事例が出るようになった。ネット社会によって中央集権型から自立分散形の社会に移行していると感じる。

村社会から国民国家に一気に駆け上がった挙国一致体制である明治から昭和に対して、平成から令和にかけてネオ村社会とも言えるようなローカル経済コミュニティが地域を支える母体になっていくと考えている。

ある意味明治期に日本がライジング出来たのは、江戸時代に地方が力をしっかり蓄えていた、つまり豊な生活をしていたからなのではないかと思う。江戸時代は貧しかった、農民は搾取されていたかのように歴史教育では教わるが、一方で、町人文化などが花開き決して同年代のヨーロッパと比較しても遜色がなかった文化レベルを日本には存在していた。

中央集権型が有利なのは、情報が中央に集まるからであり、都市化することによる弊害もありながら、それ以上に集積のメリットを享受できたからである。しかし、ネット社会になり、それが自立分散型に変化してきたことを考えると、必ずしも集中する必要が薄れてきたと言える。

事実、この10年間で東京の都心はまったくワクワクしなくなってしまったように感じる。街が再開発で新しくなればなるほど、コモディティ化し、どこにいっても同じような風景になってしまう。
そしてその空間が居心地の良いものであるかと言えば、余所余所しい空間である。本当に心地よい空間とは、一朝一夕で出来るものではなく、時間をかけて、多くの人の手心が加わったものに、魂が宿るようなもので、そこに言葉では表現できない、感動のようなものを覚えるのである。
真新しい場所であっても、素晴らしい場所は、その場所の歴史や文化、自然の借景や地形を上手く活用するからそこ、生まれる風景というものがある。

これからの時代の社会においては、これまでの逆の方向に向かうベクトルが必要であり、その先にまた中央に戻るフェーズが来ることになると思うが、今は、地方分散にこそ、未来があるのではないかと思うし、その部分にこそチャレンジする価値があるのではないかと考えている。

これはある意味日本人のノスタルジーであり、桃源郷でもあり、この試みは、社会主義、共産主義的にこれまでも古典回帰的に行われてきたが、結局は旧来の村社会では経済的に上手く回すことができず、ことごとく上手くいかなかった。

故に、お金を回る仕組みを創ることが地域社会にとってのエンジンであることは言わずもがなであり、エンジンがないのに、立派な車体だけあっても車は前に進まないのである。

これに対して最近では、資本主義の考え方と融合した里山資本主義という考え方が注目されている。

また、1970年代からパーマカルチャーという活動も行われており、日本でも持続可能な社会システムの構築の実践が行われている。

ここからは、自分なりのお金の回る仕組みについて考えてみたい。

お金を稼ぐことの基本原理

お金を稼ぐことの基本原理は、需要(ニーズ)にある。
その需要(ニーズ)に合わせて商品を提供し、それに見合う対価と交換することで手元にお金が残る。誰かのニーズを、自分が提供するサービスで満たすことで、対価を得るということである。

つまり、お金を稼ぐことは、誰のニーズを満す事であり、誰のニーズを満たたそうとするのか?が肝要だと言える。

これから求めらるニーズとは何か?

物質的なものや、生活利便サービスなど、資本主義自由経済の現在は、ありとあらゆるものが、ニーズを満たすための商品として提供されている。これだけ色々なものに囲まれている中で、満たされていないものとは何か。
万人に共通の、究極のニーズは、安全であり、安心感、そして健康であること、持続可能な環境を維持することである。
これは夜警国家として、公共が提供すべきサービスとされている。実際警察であったり厚生に関しての行政サービスが提供されているが、今後衰退する地交体で、充実したサービスを提供し続けることは難しい。
そしてサービス提供のためには、対価が必要であり、行政サービスの対価は税金である。税金を上げることで、サービスのクオリティを上げるという考え方もあるが、コンサンスコストがものすごく高いと言える。

対価をどう稼ぐか?

サービスの提供を得るためには、対価が必要であるが、その対価をどう稼ぐのかというのが本質的な問いだと言える。故に、「稼ぐ」という本質から逃げてはいけないのである。稼ぐということに関しては、色々なチャージがあるところであるが、生きるということは、何かを生産することであり、その生み出したものの対価で生活するというのが、大事なことだと言える。

サラリーマン社会の終焉?

戦後の高度成長期において、日本人は高学歴、高収入を目指して、ひたすら受験勉強に励み、良い大学、良い会社に就職することを社是として、より一層努力しめた。
組織で仕事をすることは、個人では出来ない力で物事を動かすことが出来るため、一般的には合理的である。しかし、安定期を経ると、組織は形骸化、硬直化し、腐敗していくのは、多くの歴史が実証している。
今の日本社会はまさに、その局面にいる。

有能は社員は、さらに良い環境に転職をしていくために、大きな組織においてリーダーシップを発揮して、世界に挑戦するような組織はどんどん少なくなっていくことになるだろう。

組織とフリーランスの間で

これからの社会では、組織に頼るのではなく、個人のレベルで動くこと、個人のレベルでお金を稼ぐ仕組みを自分で作り上げることが本当に今必要なスキルとなっていると言える。
個人事業主、フリーランスと言われる分野であるが、個人的には、All or nothingではなく、組織とフリーランスを副業的に越境していくことで、プロボノ的に働く働き方が出来ないかと考えている。
そういう働き方、ライフスタイルを具体的に考えてみたい。

自分の提供出来る価値

これに対して、自分の提供出来る価値を考えたい。

同じものを提供しても、受け取る側のニーズ次第によって、そのものの価値が違う。

この組み合わせが間違っていると、ビジネスとしてうまくいかないし、逆にこの組み合わせが上手くいけば、良いビジネスになると言っても過言ではない。

では具体的にどういうことが考えられるのか。

ある人にとって、もういらないと思っているものがあって、でもある人にとっては欲しいとおもっているものがあり、それが両者が納得できる価格で合意ができれば、取引が成立する。

ごく当たり前の理屈であるが、今は、生産者と消費者、そして市場というそれぞれの大きな仕組みとなっていて、生産者と消費者はそれぞれ顔が見えない形で、流通という仕組みで、取引が行われている。

BtoBからBtoCそしてCtoCの時代に

一方で、ネットの登場により、個人と個人での取引もメルカリなどのアプリの登場により、可能となり、自分の商品が提供できる個人は、それまではバイヤーに購入してもらい、仲買を経由し、小売で販売するという販路を通らなくても、売買が成立できるようになったので、ビジネスの可能性が広がったとも言える。

物販の知識と経験があれば、販路の利用コストが下がったために、誰でもが商売が出来る環境になったと言っても過言ではない。

頭でわかっていても

しかし、本当の商売は、そんな簡単なことではない。とどうしても昭和世代は言いたくなってしまうが、それが実はバカの壁なのかもしれない。自分なんかが、商品を売るなんて出来ない、自分が作った商品なんて売れるわけないと思いがちであるし、事実そう思っている。

場数を踏もうと思えば、もういつでも、どこでも市場はあると言える。

そうすると、次は何を商品・サービスとして自分が生産できるのかという事である。

自分にとってのバカの壁とは

次の自分にとってのバカの壁は、商品を一から作らないと意味がないと思ってしまう事である。商品にとっての使用価値は、商品そのものをつくる時に決まるものと思いがちであるが、考えてみれば、原材料を仕入れて、加工してそれを商品にするという価値の付け方や、さらにそれの売り方の工夫次第で、商品の価値を高めるというのは、プロの商売人であれば普通にやっている事だと言える。

そう言う基本的な事も、理解できておらず、プロフェッショナルとしての経験がない人間には、価値づけなんて出来ないと、思ってしまっている節が少なからずある。

付加価値の付け方とお金の流れ

こうして考えてみると、1次産業、2次産業、3次産業という考え方は、商品の付加価値の付け方の違いを表しているのだと気付かされる。1次産業とは、つまり原材料となるものを作る事で、2次産業は、原材料から加工して、製品を作り出す事、3次産業は、それを商品として売るという部分を示しているので、産業自体がそれごとに業界を形成しているので、別ものという形になっているが、お金と商品の流れで考えてみると、フェーズを示しているに過ぎないのかもしれない。

1から3次産業の円環

ということは、経済の循環を考えると、本当は1から3次産業を円環で考えていくことが必要なのかもしれない。

今1次産業が衰退していく中で、6次産業化と言われて久しいが、つまり、生産者から消費者までのルートを全体として商品サービスとして再構築することが6次産業と言えるのではないだろうか。

持続可能な社会を考えるというのは、つまりこういう流れを理解し、変えていくことに他ならない。

しかし、実際問題、既存の社会では、理想論で語ってもそれで社会が変わるほど簡単な問題ではない。

そういう社会問題に対してビジネスの分野で社会課題を解決していこうとしているのがソーシャルビジネスの分野であるが、どちらかというとソーシャルの部分が強過ぎて、ビジネスが疎かで、行政の補助頼みになってしまうようなものは、本当の意味でのソーシャルビジネスとは言えないのかもしれない。

生産者と消費者をつなぐ仕組み

と、頭の中ぐるぐるしてしまったが、結局のところテーマである「お金が回る仕組み」とはというところに話を戻すと、生産者と消費者をつなぐ仕組みだと言える。

これを実践されているのが、「都市と地方をかきまぜる」の著者である高橋博之さんである。「東北食べる通信」をはじめ、今はポケットマルシェで、全国の生産者と消費者さんと繋げる活動を行っている方である。

高橋さんがやっていることは、ビジネスプランとしては、産直アプリの運営であるが、都市と地方をかきまぜるというビジョンを掲げて、生産者と消費者を繋ぎ、さらに、ただ消費するだけの消費者から生活者になってもらうという考え方で、ビジネスを行っている。個人的には非常に胸熱なところである。

個人的に目指していきたい「お金が回る仕組み」とは、高橋さんのようなビジョンで、地域の経済を回すような仕組みの構築にチャレンジしていきたいと思っている。

紫波町 ノウルプロジェクト

そうした中で今一番注目をしているのがオガールの岡崎さんが紫波町で企画しているノウルプロジェクトである。
地域の未来は地域の産業で創るというコンセプトで、産業、地域の人々、地域の資産の掛け合わせから事業化のポイント、人材育成、地域産業の発展、新ビジネスの創出でのキャッシュポイントを産むという仕掛けを行なっている。

https://www.chisou.go.jp/tiiki/chukatu/renkei_kyoutei/pdf/2.bessi_nourupurozhekutogaiyou.pdf

https://img.japandx.co.jp/shiwatown/cms/soshiki/4/shisankeiei_gakkouatochikatsuyou/NOLL%20PJ_master%20plan.pdf

今の自分が妄想している「お金が回る仕組みを創る」の将来像を一番解像度高く表現していて、共感出来るのがこのノウルプロジェクトであり、これからのプロジェクトの進捗に注目していきたい。

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