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自己紹介 ー営業編ー

はじめに

みなさん、こんにちは。

ミルボン 経営戦略部の池田です。

国内の美容室専売メーカーに務め、早9年目。

僕は今年の3月からTwitterを初めて、早4か月。コロナ関連のnoteを書いたっきり(5月)で、自分が何者かという自己紹介もなくずるずると来てしまった。そこで、自己紹介noteとして、営業時代について書こうと思う。

僕のキャリアは営業6年、商品開発マーケティング部1年(8商品担当)、経営戦略部(現在)と異動してきたキャリア。

そのキャリアを振り返ると営業時代の現場ローカルの積み重ねの経験がなければ、他部署での成果はあげられなかった思う。

そこで今回は、僕がミルボンで営業としてどのように歩んできたのかを書いてみた。

◆目次
1、僕とミルボン
2、なぜミルボンを選んだの?
3、入社1年目 ー大阪ー
4、美容メーカーの営業の仕事って?
5、商品を売るな、コンセプトを売れ!
6、入社2年目〜4年目 ー北海道ー
7、入社5年目〜7年目 ー横浜ー                     
8、まとめ

1、僕とミルボン

僕が就職したのは、株式会社ミルボンという美容室専売の美容メーカーで、国内270番目くらいの後発。

それでも1999年に業界1位になった。

ビジネスの内容はBtoBのビジネスを展開しながら、自社のプロダクトは一般顧客まで届くBtoBtoCという特殊な形式。

少し解説すると、

代理店さま(B)へ商品を卸し、代理店さまから美容室(B)へ販売していただき、美容室で美容師さんから一般のお客様(C)へ販売して頂くビジネスモデル。

下の画像が分かりやすいと思うので参考にして頂きたい。

具体的には、美容室でカラーメニューをするときに使われるカラー剤(アディクシーカラーなどの産業財/画像 下)や、

ご自宅でケアするシャンプー(Aujua・mlibonなどの消費財/画像 下)といったプロダクトを展開している。

美容室で商品を購入したことがある人なら分かると思うが、美容室で販売して頂く美容商品は、一般ドラッグストアのシャンプーやスタイリング剤と比べてあきらかに高級商品だ。

※ドラッグストアのシャンプーは300~1000円程度。
美容室のミルボンのシャンプーは2000〜3000円。

ただ、時計や車、画具の高単価の商品を販売するわけではなく、単価が3〜4桁台の商品の積み重ね(リピート)で360億の売上を頂いていることは、本当にお客様から支えられていることがわかる。

2、なぜミルボンを選んだの?

ポイントは3つ。

①ヘアショーでのモデルの経験

10代の頃にヘアショーのモデルに採用して頂き、コンテストに出場したことがきっかけで美容業界に興味を持った。美容師さんが僕を素敵にしてくれようと約2ヶ月前から仕込み(スキンケアとかもアドバイスをもらった)をしてくれる中で、美容師さんのモノづくりへの真摯さやまじめさ、熱量を強く感じた。その時に、この人たちをサポートする仕事をしてみたいと思ったことを今でも鮮明に覚えている。

②人数が少ないのにトップシェア

はじめにも書いたが、ミルボンは1999年に業界ナンバー1(国内)になった。

僕の入社した2012年当時の売上は219億。これを営業200人弱(※2012年当時 全社員580人程度)で、達成していた。当時、学生だった僕はシンプルにこの数字に圧倒された。

その一方で、“これは個人の能力が高くないと成しえないのではないか?”“自己成長が速いだろう”とも考えた。

③個人の裁量が高い

”裁量が高い”とは具体的にどうゆうことか?

一言で言うと、”美容師さんのためになることなら、なんでもやってみなさい”という姿勢の会社。もちろん、売上や各々の目標は達成しなければいけないが、仕事に決まりきったプロセスや縛りがない。だから楽しいし、責任感も出る。弊社には権限0、責任100という言葉もあるくらいだ。

実際、当時はここまでしっかり考えてなかったかもしれないが、僕はこれら3つの理由で、ミルボンへの入社を決めた。

そして、僕が今なおミルボンで働き続けている理由は3つ目の理由が大きいかもしれない。

3、入社1年目

入社1年目。いきなり大阪へ引っ越した。
そもそも、僕は入社オリエンテーションがあった入社前年の10月まで、1年目は全員大阪配属になるとは知らず、入社を決めていた。

育った横浜を離れるのは不安だったが、気づけば社会人1年目として見知らぬ土地で初めての独り暮らしと、慣れない仕事をスタートさせた。

仕事といっても、最初の半年間は研修期間。
美容師さんの気持ちを理解するために、シャンプーを皮切りにカラーやパーマなどの美容技術の習得に励んだ。研修期間は売上を1円もあげることは出来ないが、給料は通常通り。この研修が毎年実施されていることを考えると、この投資はどの会社もなかなか真似することは難しいだろう。この期間は会社への感謝はとても大きい。

そんな研修期間だが、唯一お客様の前に立つチャンスがある。

それは、プレゼン大会を勝ち抜いたペアチームが美容師さん向けのセミナーの講師を務めるものだ。

僕は同期の約40人の中で奇跡的に選ばれ、アシスタント美容師さん向けのセミナーで講師を務めることができた。正直これに関しては、一緒に組んだの同期のおかげだったが、研修生の僕にとって”お客様の前に立つ”とても良い経験になった。

こうして半年間の研修期間の後、僕は美容技術がわかるフィールドパーソン(FP・一般的な営業の立ち位置)となり新人営業マンとして配属された。

4、美容メーカーの営業の仕事って?

配属後の話に入る前に、美容メーカーの営業がどんな仕事をしているか紹介してみよう。

1、商品取り扱い代理店さまへ商品の商談
2、代理店セールスさまへサロン訪問の依頼
3、セールスさま同行とサロンへの取り組み提案
4、既存サロンさまのコンサルティング
(新人教育/カウンセリング力の向上など課題発見から解決策のご提案)
5、セミナーの企画・実施による売上向上サポート(個人/個店/複数店/代理店主催など様々な形式)
6、新規サロンさま獲得へ向けたご提案の準備

大まかだが、これら6つが挙げられる。

つまり、業務の多くは美容室オーナーさまとコミュニケーションをとりながら進めていく美容室のコンサルティングにあたる。

配属されてすぐの若手から、人を雇っている経営者さまを相手にご提案させて頂くので、もちろん勉強してご提案するのですが、若手として生意気な提案になるとクレームになる。この塩梅が非常に難しい。

難しいながらに、ミルボンの営業は少し指針となる言葉を研修の時に学ぶ。

「商品を売るな、コンセプトを売れ」
※採用試験の時から少しづつ出てきて、考えされらせている言葉

「えっ?商品を売らないんですか?」と最初に疑問に思っていたが、営業時代を振り返るにはいい言葉なので少し触れてみることにする。

5、商品を売るな、コンセプトを売れ!

実際には商品を売るんですが、モノありきでご提案に伺うと、売れない。
なぜなら、すでに目の前に置いてある商品で美容室の経営は成り立っているからだ。

だからこそ、まずヒアリング、そしてヒアリングだ。サロンの経営課題や人の課題など、それぞれの事象について理解する。そこから初めてモノのご提案に移る。

そして、関係性が深まると、毎年お手伝いさせて頂けるようになり、コンサル的なより深い関わり方になっていく。

どの業界もコンサルティング営業はこのような流れだと思う。ただ、ミルボンの営業はコンサルティング営業とは思っていない。「商品を売るな、コンセプトを売れ!」と習って、“美容室のために何ができるか”という思考に変わりお客様と関わっていく。

6、入社2年目~4年目

最初の配属は東京支店札幌営業所。

この人事はミルボン史上初の新人での札幌配属だったらしく、多くの先輩方が驚き、心配してくださったのを今でも覚えている。

僕自身も大阪に就職して、すぐ札幌へ転勤するなんて考えてもいなかったのでかなり動揺していたが、札幌の先輩方には仕事面はもちろん生活面でもたくさん助けて頂いた。

仕事はどうだったかというと、当時の上司が入院していたこともあり、非常にのびのびと仕事をさせてもらった。

代理店活動は、札幌の本社の担当をしながら、全道の拠点(小樽、旭川、帯広、函館など、合計13拠点)出張して、週末だけ札幌の家に帰る生活。

これだけの数の拠点を体1つで回っているのだから、頭を使わないと成果は出ない。
当時からzoomがあればもう少し楽だったかもしれないが、楽して頭を使わなくなっていた可能性を考えると当時はあれでよかったのかもしれない。

特に代理店の社長にはお世話になった。

原因は当然僕でしたが、半年間、社長に口を聞いてもらえず、アポも取れなかったときは毎日苦しくて仕方なかったが、今となってはいい思い出だ。

サロン活動では、1年目からとあるサロンさまへ、Aujuaが合うなと感じており、ご契約できればもっとサポートできるなと思っていた。

この美容室があるのは、勤務している札幌から車で3時間半、人口16万人のエリアにあった。

冬は大雪なので、車は当然つかえず、新幹線はない。特急電車に揺られながら足しげく通った。ここまでできたのは、純粋にお客様のことを考えて経験の浅い自分にはなにができるのかを考え続けることができたからだろう。

そうして、関係性を構築していき、2年目でやっとご契約してくださり、3年目で大きく成果がでたのは本当にうれしかった。

売上成果としては、
1年目:1.36億円(111%伸長)
2年目:1.53億円(112%伸長)
3年目:1.81億円(118%伸長)

という形で終えた。

とにかくハードではあったが、北海道で社会人としての姿勢を多くを学ばせてもらった。

7、入社5年目~7年目

次の配属は東京銀座支店横浜営業所。

この3年間は営業時代一番つらかった。
もちろん、一番成果がでた3年間でもあった。

土日も含めて、仕事をたくさん頂けた。当時は心から”1日24時間では足りない”と心から思っていた。

僕は基本的に、仕事のオンとオフの切りわけは無く、四六時中仕事のことを考えているが、そんな僕でもハードだった。

もちろん、それだけ一流の美容室と美容師さん、代理店セールスさんと関われていた証拠だろう。

ここではある美容室と僕との歴史に触れる。

僕が横浜に異動になって担当になった営業先は、2012年に研修生の時に仮配属研修で配属になった先輩が担当していた営業先(代理店・サロン)だった。

研修生のとき何もできなかった僕に様々学ばせてもらった環境に戻ってきたのだ。その時の僕は札幌での成果もあり、完全に調子に乗っていた。

3年間の営業経験の自負から、”できる営業”の気になっていた僕は、やる気ばかりが空回りして、お客様の気持ちを考えられておらず、営業先の当時の支店長から怒られてばかり。業務連絡も担当の僕ではなく、前の担当者や上司へよく連絡がいっていた。

その時、僕は

「なんで前の担当に連絡?僕にかければいいのに」

「前任者に電話がかかったらそこからまた聞くのは二度手間だし、こっちに連絡した方がスムーズなのに。」

など、営業としては終わっている思考に陥ってた。

今思えば、僕に仕事を頼むとお客さまに迷惑がかかるから、弊社の別の担当者にかけていたという話ですが、当初は全く気づけていなかった。

もちろん僕自身、”仕事がうまくいっているな”とは全く思っておらず、すっきりしない毎日だった。

半年ほど悩みながら、仕事をしている中である代理店セールスさん(Kさん)が相談にのって、見捨てないでくれた。正直、営業としての姿勢で大切なことはほとんどKさんから学んだといっても過言ではない。もちろん売上を上げることに特化されているセールスもいたが、Kさんはそれだけではなく、人に囲まれて、何かあったら頼られる存在だった。

そんなKさんは僕のことを”池さん”と呼んでくれた。

「池さん、これどうやって売ろうか?」

「池さん、これどう思う?」

「おい、池田おめえ。」

Kさんとの会話はこんな感じだ。いつも最初に僕に聞いてくれた。今思えばKさんは絶対聞かなくてもわかるのに、僕が悩んでたのを知っていたのだろう。活躍できる場を作ってくれていたんだと思う。

もちろん売上を上げることに特化されているセールスもいたが、Kさんはそれだけではなく、周囲に人がたくさんいた。人を巻き込むのがうまく、巻き込まれた人もなんだか楽しそうだった。見たはランニングで日焼けした黒いお兄さんなのに、仕事はどこか半端じゃないものがあった。

Kさんとのセールス同行は月に2回、それぞれ10時間以上を一緒にKさんの営業車の中で過ごした。

Kさんとの同行はいつも「おれ、仕事中はタバコ吸わないから!」といってスタートする。前半は僕の仕事の悩みやプライベート話を聞いてくれた。だいたい18時を過ぎてくると、Kさんの話をしてくれるようになる。その時間帯に入るとKさんは、まずこう言い放つ。

「池さん、もうダメだ。タバコ吸うね!笑」

”いや、吸うんかい!”

と、心の中で突っ込んでいた。そんなどこか突っ込みどころのある空気を放つ天才だった。

その時に話した内容は、多くありすぎてここでは書ききれない。ただ、1つだけ挙げるとすると、

「相手に何かしてもらおうと思うな。一生懸命に相手のことを考えて行動していれば、いつのまにか何かして頂けるようになる。」

いつの間にか全力投球を忘れてしまい、ここまでやっとけばいいだろといった慢心があったんだと、そんな風に考えさせられた。

Kさんのおかげで、仕事も徐々にうまくいくようになり、売上もミルボンで作ってもらえるようになった。感謝しても、感謝しきれない恩人だ。

Kさんと毎回過ごした、あの10時間同行の営業車は忘れられない思い出だ。

こんな横浜を担当した3年間は大きな成果が出た年だった。
1年目:1.67億円(112%伸長)
2年目:1.91億円(114%伸長)
3年目:2.24億円(117%伸長)

3000万/年の美容室と契約出来たり、Aujua冬のキャンペーンは全国1位の販売数(約1,600万/1日)をご購入頂いたり、その代理店さんのメーカーシェアが1位になったりと営業ラストの年として悔いのない結果だった。

僕にとってこの3年間は20代の大きな財産になり、その後のキャリアを支える要素の一つになった。

8、まとめ

“他の誰かに頼られて、初めて自分が存在する”

これが僕が7年間でお客様から学んだ営業、そして人としての在り方だ。

・普段関わって頂いてる方
・美容業界の営業にご興味のある方
・池田って一体誰なんだ?という方
・Twitterで最近繋がってくださった皆さま方
・今年からリアルでお付き合いある皆さま方

このnoteで少し知って頂けたかなと思う。

この後は商品開発マーケティング部に異動し、その後現在の経営戦略部ブランド戦略室へ異動して現在の僕がいる。

この話はまたできたらと思う。

Twitterも是非フォローよろしくお願いします。

ありがとうございました。

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