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#私の定規診断

大きな定規がいいのか?
さまざまな測れる定規がいいのか?
使い勝手がいいというのはどんな定規か?
人それぞれだよなぁ。
自分は目が悪いので、メモリがきちんと見えるのがいい。
でももうほとんど定規で「測る」ということがなくて、まっすぐな線を引いたり、自分がどこを読んでいるのかの目安にするための定規…というのは比喩ではない、リアルな定規の話だけど、比喩での「定規」も同じかもしれない。

相手がどんな定規を使っていてもいいけど、時々その目盛りが均等じゃないのでは?という定規を使っている人がいる。
測り方が悪いのか、それとも定規が悪いのか?
こちらでこっそり測り直して修正していても気づかないのに、どうしても自分で測ると言い張るのも多い。
「やれやれ┐(´-`)┌」と思うが、もう口には出さない。
ただ思うのは、各自の定規は経年劣化していくものだということ。
定規が劣化していてもそれまでの経験則やら何やらで定規に頼らない人もいれば、気が付かずに使い続ける人もいる。
そして定規が劣化したことを理由に、新しい人間関係や新しいことにトライするのをやめる人もいる。
そういう人たちって決まって「めんどくさいんだよね」という。「忙しいんだ」とも。
子育ても終わって、そろそろ自分のために時間を使える年頃だというのに、もったいないな…と思うが、人それぞれ。
新しいものに定規を当てることすらめんどくさくなっている人の定規のメモリはどうなっているのだろう?
「他人の定規はどうでもいいだろう?」
と時々自分の中で声がする。
「そうだね」

歳をとって、自分の定規の役割が変わったのは確かだと思う。
たくさんの情報のどこを見ているのかのアンダーラインになったり、区切るため、結ぶための線を引いたり。
以前は測ることが一番の役目だったが、今は真っ直ぐ線を引くのが一番の役目になっている。
自分の持っている定規で、まっすぐな線で繋がれるものか否か。
その線で繋がるものなのか?
その線で区切られたエリアにきちんと正しく振り分けられているか?
それが今の自分の判断基準になっている。
本当にまっすぐかどうかは自分の目ではうまく見えないのが難点だけど。
でも、いつの間にか定規の役目が変わったのは確かだ。
定規そのものというより自分で引いた線でしか判断していない。
それが歳を取ったということなのかな?

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