見出し画像

#哲学問題私の答え

山根あきらさんの下記の問いに対する私の答えです。

問いはふたつ
① 卑怯なのは誰か?
②どちらが倫理的か?
これを当事者視点と第三者視点で考える。

まず最初に倫理的を問われて、倫理とは?となった。

人として守り行うべき道。 善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。 道徳。 モラル。

公益社団法人日本看護協会

これを倫理として考えることにした。
ちなみに卑怯に対しても次の意味合いとした。

勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。

デジタル大辞泉(小学館)

①卑怯なのは誰か?
当事者視点では、どちらも自分のこと、相手のことを卑怯だとは思っていないのではないか?と思う。
ただ、BさんにとってAさんは「理解できない人」となるのではないか?
自分に求めてきたことを、今度は自分が求めた際、NOと言う。
自分に求めていたのは一体なんだったのだろうか?
しかもひとりでBさんのDさんに対する復讐が終わった時点では、「この程度のことをひとりでできない人」という卑怯いうより侮蔑の感情を抱くかもしれない。
第三者視点では、少なくとも自分はAさんを卑怯と呼ぶ。
他人を巻き込んでおきながら、他人事に巻き込まれたくないという、利己的なところが嫌だ。これはもう好みの問題だとも言えるけれど。

②どちらが倫理的か?
そもそも悪とされる復讐をしようとした時点で倫理的ではないのだけれど、それでもふたりのどちらがどうというならば、独特とはいえ自分の中に倫理理念のあるAが倫理的と言われると思う。
当事者視点で考えた時、単純にBはAの「自分を信じているならば」の言葉で復讐に加担する。Bの中で善悪の判断はない。
その後自分自身もDに復讐を行うわけだがもしもAの復讐に加担してなければ、BはDに復讐するということを思いついただろうか?
第三者視点でも自分の倫理を持って動いているのはAだと思う。
Bさん自身の判断基準が見えない。
Bさんは復讐を2回しているようだが、1度目のCさんに対するそれはBさんにとって復讐ではないことを考えても、Bさんの倫理は少なくとも自分の倫理とは違い過ぎている。

p.s.
Bさんがこういう人・・・・・だと知っていて、AさんがCさんへの話を持ちかけていたら、それはそれでまた違う話になりそうですけどね。


総じて
Aさんとは関わりたくないなぁ…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?