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別れの折に

7年前、泣きながら バンドやることを伝えた。
・就職しないこと
・音楽が好きなこと
・ofuloverとしてやっていくこと

それを母親に伝えたとき
俺は泣いていた
多分俺にとって初めて決断したことだったからだと思う。

結局バンドで飯を食っていくことは無理だった。

でも、最後にはこんなにも
愛してくれる人たちに囲まれていた。

ワンマンもあったしリアル30人くらいしか来んと思ってた

最後の最後で弟とも共演ができて、
たくさんのお客さんの前で
同じステージに立っているところを
見せることができた。
俺にとってはそれが
1番の親孝行だったと思う。

母からのLINE


共演した写真(俺の方がイケメン)

活動休止が決まった後のライブ、
俺はずっと笑顔だった。
しがらみから解放されたかもしれん。

今までのライブだったらステージで
お辞儀とかしたことなかったのに
最後はちゃんとしてた。
教育の賜物、よくできた子だ。

千秋楽的な


でもお辞儀してこなかったからと言って
別に感謝してなかったわけではなく
むしろ、めっちゃ感謝してる。
もちろん来れなかった人も含めて。

売れたいと思う気持ちや自分の魅せ方、
そんな足枷から解放された後のライブの方が
正直言って楽しかったかもしれない。

実は1/11 自分のライブよりも
Hyugaくんのライブの方が泣いた。

26という曲で始まったあの日、
「結婚しても就活してもライブに来てくれるかな」
という一節。

俺もずっと思ってた。

一人でも多くのお客さんに
ofuloverを知って欲しくて、
「100回くらいの訳わからないこと」を
やってきたと思う。

フライヤー配りまくったり、
色んなライブに出たり、
出てないライブの打ち上げに
朝まで付き合ったり、
本当に意味があるか分からんことを
続けてきた。

でも、その100回くらいの訳分からんことが
あの日、あの一日のライブに
繋がっていたと思う。

フライヤーを配ってたから出会えた人
数えるほどのお客さんしかいない
ライブハウスで出会えた人
打ち上げから繋がったライブに来てくれた人

思い描いていた未来じゃないけど
俺はみんなに出会えて良かったです。

また会える日までどうかお元気で。

山田亮一みたく2,3年後くらいにひょっこり戻って来たいよー


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