小説を書く二つのモード
私が知る限り、小説を書くための二つのモードがある。
おそらく小説以外にも、何かしらの創作、アウトプットに類する活動は、だいたいこの二つのモードのどちらかを使っているのではないかと思う。
ひとつめのモードは超集中モードである。これは一種のトランス状態によって脳のリミッターを外して書くというモードである。
私が二十代のころはこのモードのみを使って小説を書いていた。
当時、トランス状態に入るために、私はストレスを利用していた。
自分に様々な方面からのストレスをかけることで精神を追い込み、それによってトランス状態に入る、という手法である。
もうひとつのモードは、リズム・習慣モードである。これはトランス状態に入らない日常的な意識のまま、執筆習慣といういわば外部的に設定したリズムに自らを合わせ、その習慣に従って淡々と作業するというモードである。
天才たちの日課という以前読んだ作家の創作スタイルが列挙された本を読んでも、だいたい作家はこのどちらかのモードを使って書いているようだ。
その本の中で多くの作家は、超集中モードでのトランスに入るために酒やドラッグや日常生活でのストレスを意識的、無意識的に使用していた。しかし当然、そのストレスのために短命に終わってしまう人が多いようだった。
だが仕事ができるなら命などいらねえ、という考えもありかもしれない。実際、短期的な成果を上げるには、ストレスを利用した超集中モードを使うのが役立つように思う。
しかし長く創作活動を続けるにはどうしても執筆スタイルをリズム・習慣モードに切り替える必要があるはずだ。健康を害する書き方では、いずれ衰弱してしまい、自分がしたいことをやれなくなってしまうからである。
というわけで私はここ十年ほど、ストレスを利用して超集中モードに入るという執筆スタイルを、自分の中から取り除くことに力を注いできた。
それはいわば郭海皇が消力を得るため、それまで身につけてきた筋肉をあえて自ら手放すような行為だった。
しかし、リズム・習慣モードでの淡々とした執筆の果てに、真の超集中モードがある。その真の超集中モードを得るために、私は旧来の、ストレスを利用した超集中モードを手放す選択をしたのである。
真の超集中モードとは何か?
真の超集中モードは、リズミカルな習慣の繰り返しによって、ストレスなく超集中状態に入ることができるというものである。
その超集中状態はほとんど日常と融合しており、なんの苦もなくそこに出たり入ったりできる。
その超集中状態はストレスよりもむしろ健康で安定した生活によって生み出されるものである。
その超集中状態は、ストレスを利用した旧来の超集中状態よりも、持続力、安定性、そしてその深みと広さにおいて遥かに性能が良いものである。
そのような真の超集中状態が、リズム・習慣モードの熟達の先にある。そこを目指して今日も淡々と小説を書きたい。
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