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かすかに感じる

私が心の鈍痛や今MAXではないけど微細に感じる何かを表現する時に「遠くで音楽が鳴っているみたい」と表現することがある。今目の前ではないけど遠くの方で薄っすらと、何か聞こえてくるような感覚。あまりに遠過ぎて鳴っている気になっているだけで実は実際に何も鳴っていないのかもしれない。だって鳴っている「みたい」って言っちゃってる。

▪︎ コロナの味覚障害


6月の半ばに高熱が出た。いつもいつもなんだか熱でもありそうだな、と思うときには決まって熱なんて出てないので「熱出ないかな。熱出て仕事休みたいんだよな」とか大変罰当たりなことを口にしている私だが、この日は違った。瞑想をしてひたすらに願いを受け取るモードになっていたのかそう言っていた数時間後に寒気と相反する体からの熱に悶絶した。横になるにも膝関節が痛すぎて寝ていられない。高熱は4日間続いた。ああそうだった、高熱はつらいんだ、40℃近くになると楽になる(麻痺してる)けど38~39℃台はものすごくつらいんだ。記憶に残るほどの高熱は小学生の頃だから、あの時は体力があったけど今は違う。やばい。助けてくれとしか言えない。

熱を出す直前に手術の快気祝いとして食事にいっていた友人も、あのあと体調を崩していたらしい。高熱が出て2日ほど経った頃にコロナの陽性であったことの連絡がくる。

さすがに1ヶ月ぶりに顔を合わせた友人とその場で感染して同時に発症はないだろう。無症状か?といつもの調子でいたがいつまでも終わらない倦怠感、めまいですっかり参っていた頃、私は遠くへ行ってしまった感覚に気がつく。

「味が、匂いがしない」

コロナの後遺症として味覚障害があるという噂は聞いていたが、まさか。熱があった時は食べ物を体が受け付けなかったけど、エネルギーが不足してフラフラなのでうどんをすすったが、味はしていなかったのかもしれない。

生ぬるい夏の始まりのような空気を肌で感じるのに、雨に濡れた草の匂いも感じない。塩気のあるものを食べると「しょっぱいな」と思うけど、これは多分舌の部位によって味覚を感じていることを知っていたから、その位置で恐らく塩味、恐らく酸味、としているだけで、実際の味はわからない。味って五感のうちで嗅覚と味覚を使ってるのか。どちらかというと嗅覚の問題なんだろうか。嗅覚がやられている分を記憶と触感などで補ってくれてなんとかダイレクトで匂いや味として感じられない情報を私自身に伝えてくれているようだ。これが長く続いたらもしかして美味しく食事をすることも可能になるのだろうか。

▪︎ 対策を調べてみるも

その症状が出たから、と治そうと思ってそこにばかりフォーカスするのはすきではないので、どうやらウイルスと体が戦う過程で亜鉛が多く使われるらしいということで亜鉛のサプリメントとビタミン・ミネラルのサプリは多めに接種するようにした。2~3週間くらいで症状は改善する場合も多いらしいのであまり心配しないようにしている。それよりも感覚が戻ってきたら何を食べようか、と思っているほうが遥かに健全だった。私にとっては。

とはいえ何日もこんな状態だと滅入ってくる。食感と舌触りだけで苦味も感じられないのに食べたいティラミス。普通の食事をすればすぐに拒否反応を起こす体。こんなんじゃ生きる楽しみも希望も何もあったもんじゃない、という自暴自棄なふりをして、味が戻ったら焼き芋を食べようだとか、バットいっぱいにティラミスを作って大きなスプーンで食べてやろうとか、私は生きる希望なんてなくしたりはしない。

だけどちょっとうっかりと人生を投げてしまいたくなるくらいには匂いのない世界は寂しい。

ちなみにバナナの皮の青くさいかんじや、りんごの香り、メープルシロップっぽい香りはちゃんと「する」し「認識」できる。これは亜鉛の摂取で若干回復したからかもしれないが、特に酸味や塩味は味として分からなくても感じやすく、りんごやブルーベリーなどの果物はその瑞々しさを美味しいと感じるしトマトのスープもとても美味しいと感じられた。なんだか味ではなく、その食べ物の【命】を頂いていている感覚だ。


パンは体が受け付けなかったのに、なんだか惹かれて買ったパン。このメープルが香る感じがすごい良かった。お腹にもたまるので味覚が戻るまでちょっと試してみようかなという気持ち。


▪︎ 痛みを伴わなければいけないのか

今これを書いている時点でまだ嗅覚も味覚もほとんど戻っていない。紅茶は香しい匂いの部分を排除した茶葉の葉っぱの部分の香りがする気がするのみだ。それでもお水とは喉に流し込んだ時とは違うので、少し食べられるものが増えたので気分転換に飲んでいる。まだまだ倦怠感は強く。1時間も座っているとつらくなって横にならなければいけない。

感覚を失ってみて「ありがたみがわかるね」という状況なわけなんだが、私はこの感じにどうも納得がいかない。普段からご飯が美味しいことに本当に感謝しかなかったのに、どうしてわざわざ痛い思いをしなければいけないのだろうって。そうでもしないと感じられないものがあるのはわかる。だけど、それを知るために失ってみろと、健康な人の襟元をつかみかかるのも違う(そもそも誰もそんなことしろなんて言ってない。一言も)し。

普段から当たり前に受け取ってもいいものなのに、受け取れていないものがあるということには変わりないのだけど。私が子供の頃から受け取っていた当たり前のような健康のありがたさ、夜中に安らかに眠れることに今回はもう泣き崩れそうなほど感謝しているのだけど。

遠く遠く、名前もつかないような感覚を発動させて私達を生かしてくれている細胞それぞれを想像したってこの感謝を感じきることは出来ない。そういうものなのではないかと私の中では納得した。そして、バランスを崩すのはそんなありがたさに気がつけよ、という叱咤ではなく「ある」ことを教えてくれているだけ。愛だ。バランスが崩れそうなことを教えてくれているだけだ。与えられているもの全てにきっと私達は気がつけない。けど気がつけなくてもいいのかもしれない。気がつけたらより素敵だけど。

交換条件みたいに知らせたいんじゃない。あなたを愛しているよって、この感覚をすべて使って、幸せになってね。ちょっと例のごとく何言ってるかわからないけど、病気しても、命の危機にさらされないと感じないと私は気がつけないのよ。平気で自分にムチしちゃう。結局「こうなってみて初めて」みたいになっちゃうのが人の性だとしても、それでも毎日感じられるだけ感じていたい。痛みがなくたってそのありがたさを感じたい。


▪︎ 終わりに

今日もまた、もったりとしたヨーグルトの食感の中に確かにいる酸味を脳内で探している。冒頭の遠くの聞こえないはずの音楽に手を伸ばすみたいな感覚だ。感じているつもりで、聞こえているつもりで、やっぱりそこには何もないのかもしれない。味を感じるために他の感覚を頼るなんて、なんだか人生みたいだ。

香りがしてくるようになったら、ミントや薄荷の匂いを楽しみたい。インスタントコーヒーは少し控えてここぞの時のスペシャリティコーヒーを飲もう。こだわりのボロネーゼを探して食べに行こう。少し小麦を控えて、食事の量も減らしてみよう。それらをこの鍛えられている感覚で楽しもう。強制断食で体も願い通り直近の理想の体重になったので、ここから絞るのがいい。

いいね、この感じ。

体がみるみる健康に近づいている気がする。


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