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野馬劇場−花野井編−

まだ夏の暑さを感じる今年の9月の中頃に半日花野井方面へでかけていった。
一つ前の用をすました帰りの車中で信号待ちをしながらぼんやり左に目をやると、たまたま目にした「馬」の文字が、江戸時代「牧士(もくし)」という役職で馬の管理もしていた旧吉田家の邸宅へ向かうよう私を突き動かした。
若柴の交差点から旧吉田家の邸宅までは1キロに足らぬ。鬱陶しいほどの渋滞から抜け出して、県道47号線に沿うて200メートルくらい上ると道は左に折れて旧吉田家のすその駐車場にたどり着く。その邸宅に向こうた此方の芝で近所の親子がサッカーをしていた。吉田の家は花野井の小高い場所のやや奥まったところにある。家の後ろは広い竹林の裏庭で、その隣はもうすぐに崖になって大木の茂りが蔽い重なっている。

たいそうな門扉を抜けて邸宅の外をうろうろと歩いてみる。突如現れた急な下り坂。起伏のある地形。時々涼しい風が来て前髪を揺らす。大木の横の坂道を下り、木を囲むフェンス越しに邸宅の方を見上げる。馬は到底登ってこれない急な勾配である。もしかしたら邸宅よりも低い土地に野生の馬を放ち、吉田家は高いところで悠々自適に暮らしていたのではないだろうか。
2つの分かれ道に差し掛かったところで、吸い寄せられるように左の細道へと進む。緩やかな勾配を登ってみるがじきに苦しくなってつい立ち止まってしまう。少し歴史のありそうな戸建てと秋冬野菜の植え時を迎えた畑の風景が広がり、人の営みがそこにはあるはずなのに人通りがまったくない。どうしたものか。まだ昼の3時だというのに。そうして左手に目をやると邸宅を守るようにして竹林が帯のように横に広がっている。竹林に続く狭い路地の脇に小さい墓地を確認した。今までちっとも気にもとめなかったが、ほんの数分前に通った道の途中にも何箇所か墓があったことを思い出した。このあたりは古くから人が住んでおり、吉田家とともに野馬の飼育や牧を管理・運営をしていくプロ農民が生活していたのではないかと想像した。おそらくここは馬の放牧地でない。馬はどこにいたのか。牧士はいる。野馬の世話をする農民もいる。「花野井」という地名があらわすように花や野にあふれた自然豊かな場所に肝心の馬がいない。少し混乱した。

邸宅から離れてから初めて人に出会った。黒いTシャツに帽子を被った体格のいい男であった。現代的な装いであるにも関わらず田舎の景色に馴染んで見えるのは、何も持たず、無口で始終何か茫然と考えながら細道を大胆に横切る様子から、このあたりを習慣的に歩いている雰囲気を感じ取ったからであろう。

散歩中の男とすれ違ったすぐ後に、緑や茶がおりなす美しい風景の中に、突如として発色の良い黄色と四角い人工物が飛び込んできた。柏市をホームタウンとして活躍する柏レイソルの文字が色々な大きさの看板に書き散らしてあった。ユースチームの練習場が近くにあるらしい。車が自由自在に通過できるほどの広い駐車場にバスのように大きい車両がたくさん停められていた。少し前に到着したマイクロバスの扉から子どもたちの声があふれてきた。自分の目測したところでは、小学生くらいの集団だろう。何を言っているかは定かではないが、彼らの表情と声のテンションの高さによって、これから起こる何かに対して前向きな心持ちであることは確認できた。また遠くの方から別の声のかたまりが耳に入ってきた。今聞いた音よりも細やかで早い動きがあって、遠くの方で鳴る耳触りの良いBGMのような気がした。やはりここでも一つひとつの声を言葉として理解するのは難しい。何をいっているのかはさっぱり分からないが、なんとなしに懐かしい感じがした。放課後、学校の運動場に響く体育会系部活動のコールアンドレスポンス。まさにこれだと思った。音を認識すると同時に空間に奥行きがあることも容易に想像できたが、実際に見てみて驚いたのは、サッカーの練習場が谷底にあるようにまわりを高い土手で囲まれていたことだった。グラウンドを走り回る子どもたちが途端に野をかけめぐる野馬に見えてきた。馬の放牧地としては高さも広さもちょうどいい。さらに妄想が進んでしまうのだが、江戸幕府に足の速いすぐれた馬を献上できるように、予め牧で駿馬候補を捕獲し、この場所に一時放牧して管理していたのではないか。その方が農民の負担が最小限に済むし、人のタイミングで馬の世話ができる。

好き勝手に空想を書き連ねたが、以上の空想は次の空想を生み出す。

吉田家は、大規模に農業を営みながら地元の名主として発展し、江戸中期頃からは金融や穀物売買を営む事業をおこなっている。天保の飢饉から小作人を救済するために始めたとも言われている。江戸後期には、醤油醸造業にも進出し、大正11年に野田のキッコーマンに経営権を売却し、廃業するまで続いた。これだけ畑違いで異業種の者が別事業に乗り出すにはとても勇気がいるし先立つものがないとなかなかできないことではあるが、それを現代でいうシリアルアントレプレナーのごとく見事にやってのけたのは大したものである。それにこれだけ百姓一揆が頻発した時代に、吉田家が発展し、今も脈々と受け継がれているのは、当時の吉田家の経営手腕もさることながら、小作人や小地主からの信頼が厚く、なかなかの人たらしの資質を持ち合わせていたのだろうと会ったこともない吉田さんに勝手に想いを馳せる。

花野井Feel℃ Walkを終え、帰路につくと、ふと「花野井木戸」という名前を目にした。いや、目にしてしまった。木戸はまさに馬と人間をつなぐ接地点。出会うべくして出会い、次の物語が生成されそうだ。

つづく

(この物語はフィクションです)

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