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困難乗り越えた系のエピソード、書くの苦手問題

この頃、約半年ぶりに就職活動を再開したのだけど、相変わらず就活って苦手だな〜〜〜〜と感じてます。何が大変かというと、就活でよく聞かれる質問、いまだに対処法がよく分かってないです。もう2年目の就活なのにな。

現在頭を悩ませているのがこの質問。

あなたがこれまでに直面した困難と、それをどう乗り越えたかについて、具体的なエピソードとともにお答え下さい(300字程度)

これは定番も定番の質問で、そんなので悩んでるとか大丈夫か? という声が聞こえてきそうですが、これ個人的には結構難しいです。困難とその乗り越え方を、具体的エピソードとともにか、、、

毎回思うんだけれどこれ、「困難を乗り越える」ってどういう意味なんでしょうね。ツラかった経験をやりきった、とかそういうことでいいんでしょうか。個人的には、乗り越えられたなら大した困難ではなかったのでは? と思わないこともないです。記憶を探って「ツラかった」と感じた経験を呼び起こしても、未だにちゃんと乗り越えられたのかどうか怪しいものばかりです。だから、ちょうどいい感じの「乗り越えられた困難」のエピソードを出すのが、個人的に苦手です。

あとこの手の質問で苦しいのが、「困難」は基本的に主観的ということ。ツラい・苦しいと感じる経験は、あくまで「その人にとって」大変だったものであって、第三者から見ても本当に「困難」と感じられるかは、割と微妙だと思います。例えば、僕は結構卒論をガチで書いたので、これはかなり困難なチャレンジだったけど、誰しもがそれに共感できるわけではなし。むしろ面接官から「卒論ぐらいしか困難な経験なかったの? 他のこと何もしてなかったのかな^^;」と受け取られる可能性もあります(その度にぶち転がしたくなる)。そんなわけで、しっかりと「共感」を呼ぶための構成・話し方が必要になるわけですが、それがまあ苦手です。

で、今までこの質問にどう答えてきたかというと、昨年、就活したてで、まだよく分かってなかった時期は、次のようなエピソードを話しておりました。ここから先は自分語りになります。




学部2年生の時に、2週間カナダ(バンクーバー)に語学留学に行っておりました。生協で案内されている、英語学校に行く系の、わりと小っちゃめのやつです。自分で色々調べて、親と相談しつつも、最終的にはソロで行くことを決めました。英語を学ぶためです。

で、一人で2週間、異国の地で過ごしたわけですが、何が「困難」だったかというと、現地で一切友達ができず、マジで孤独感が半端なかったことです。現地の語学学校に通うのだけど、基本的に学生はスペイン語圏・韓国語圏・フランス語圏など、英語圏の外の人ばかりです。まあ英語学校に英語話せる人が来るわけないので、それは当然なのだけれど。つまりは、英語を学びに行くのだけれど、交流する人たちは基本的に英語話者ではないということです(英語話者はスタッフぐらい)。

この学校に馴染むのが大変でした。そこでは母語話者同士のグループが形成されており、日本人は日本人同士で、韓国人は韓国人同士、スペイン語圏の人はスペイン語圏の人同士で、強固にグループを作って固まっておるのです。いやお前ら英語を学びに来たんじゃないの? という気持ちはあるけれど、語学学校とかは多分そんなもんです(意識高いところは違うのかもしれない)。

僕はどうにも、現地の日本人たちとは馴染めず(英語を話せよという気持ちが強かった)、かといって他のグループも、皆それぞれの母語を話しているので、昼休みも放課後も一人きりになってしまいました(妖怪ボッチ)。誰しも異国に来れば不安と思うので、言葉の通じる者同士でつるんでいたい気持ちはわかるけれども。ただ僕は、「自分はここに英語を学びに来たんだ。日本人の友達を作りに来たんじゃない」とかたくなに意地を張っていたため、マジで現地で友達ができず孤独でした。お昼は毎日一人で食べ、他の人がわいわい遊んでいる放課後も、一人で海を見に行ったり、一人で図書館に立て籠もったりしていた。

その反面、英語力についてはハッキリ身に付いたけれども。ソロプレイをしていると誰にも頼ることができないので、自分の英語力一本で何もかも切り抜けなければならず、その分英語力はめきめきと身につきます。集団で行動をしていると、話せる人に任せっきりとかになりがちだけど、全部一人で行動しているので、有無を言わさず英語力が鍛わりました。その点は良かったことです。




そんなわけで、現地で友達ができなかったのがガチでつらかったけど、その分英語力はちゃんと鍛えられたというエピソードになっています。

で、僕は今でも、「これまでの人生で大変だったこと」と聞かれると、このバンクーバー留学のことを思い出します。たった2週間だったけど、このときはほんと〜〜〜にしんどかったですね。今もこれを書きながら、当時を思い出して胃痛がしています。19歳にしてはよく頑張ったと思う。

そして就活でこのエピソードを話すときは、その「乗り越え方」として、「”英語を学びに来た”という目的をしっかり自覚して、その機会をフル活用した」的な感じで答えてました。友達はできなかったけどその逆境を糧にして、英語力をしっかり身につけられたよ、的な。大変だったけど、ちゃんと得るものがあったというのはよかったことだと思います。

…….ただまあ、当然ですがこのエピソード、就活ではウケが悪いです。なぜかといえば、第一に、友達ができなかったというエピソードが印象悪い。どちらかというと協調性の無さの方が目立っちゃうし、そもそも「困難」として共感されにくかったかもなと思う。面接官としても「なんだその経験??」という感じだったかもしれない。上述したように、「困難」は基本的に主観的なものだから、第三者の共感を得るには一工夫いるという話ですね。それができてなかったかなー。

第二に、聞き手としては、「本当に困難を乗り越えているのか?」という点が疑問だったかも。というのも、これはそもそもの「友達ができない」という問題を放置しただけなのではないか、とかね。実際にそう言われたわけではないけれど、今振り返ると、内心そう思われてたかもなあと思います。トータルで、あんまりいいエピソードではなかったですね。こんな話するやついないだろうし。
(ちなみに、「こんな話する他に奴いない」というのは、個性が表れる分プラスに働くかと思いきや、実際はマイナスなんじゃないかと個人的には思ってる。個性的だというよりは、「理解できないやつ」「普通じゃないやつ」「一緒に働くとヤバいかもしれないやつ」と見なされる可能性、割とあるので)

そんな感じです。単純に「困難」を聞かれたとしても、正直・率直に答えるのがよいとは限らず、第三者から見たときの印象だとか、それが「就活」という場面でどういう意味を持つのかとかをしっかり考えなきゃいけないという話でした。
これは多分、就活における「基礎中の基礎」なんですけどね。でもあいつら、人格・人柄を見るとか言いつつ、素直に答えたらはいアウトってしてくるから気を付けなきゃならんのです。

あともうひとつ、この「困難」系の質問で疑問なのが、人生ってどうしても乗り越えられない困難もあるんじゃないかということです。前に受けた面接でも、「人生で最もつらかった経験は何ですか」と聞いてきたところありました。ただこれ、これもし就活生が「母を幼少期に亡くしたことです」とか「事故で家族を奪われたことです」とか、「幼い頃に実の親に捨てられたことです」とか答えたら、どうするんだろうと思って見てました。僕はそこまで重い経験はないけれど、絶対にそういう人もいるとは思う。
しかも、大抵このあと、「それをどう乗り越えましたか」って質問が続くけど、こういう場合は「未だに乗り越えられたとは言えません…..」というのも、真っ当な答えだとは思います。

そんな感じで、我々の人生、乗り越えられていない困難だって数多くあるだろうってことですね。この質問に素直に答えるなら、そういうことにもなり得るけど、どうするんでしょうね。「いやそういうことは聞いてない」って言われちゃうのか。そうか。だたそうすると、ちょうどいい感じの「困難」エピソードを持ってくる必要があるわけで、個人的にはそのバランス感覚的なものが苦手です。

目下、僕にとっての困難は「就職先が見つかっていないこと」ですね。それをどう乗り越えたかというと、乗り越えられてねえからこうやって就活してんだろって話になるんですけど、そんな話をするわけにも行かず、今も悩んでる最中です。



麗しのバンクーバー。冬はいっつも天気が悪い。