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知れば知るほど不思議が増えて......

私、この世界のこと大好きですって話を今日はするつもりです。


最近、勉強しています。よく言われるのが、勉強とは既存の知識を得ることであり、それに対して「学問」とはまだ世に存在しない知見を生み出すことだ、云々、というもの。でも学問をしていく上でも「既存の知識を集めること」は不可欠ですよね。ので、やってます。まずは既に判明している事柄を調べあげるところから。最近はまあ、所属が変わったことなどもあって、勉強の段階からやり直しとなっています。本を読んだりネットで調べたりなどなど。

で、皆さん、勉強してますか? 何か疑問を解消するために、本を読んだり確かな情報に当たったりをしてますか。我々が日々疑問に思うことは、大抵どこかの誰かが既に疑問に思って、そして徹底的に調べ上げたりしています。そうした探求の成果は、本や論文になって残っていたりするので、何か疑問にぶつかったときは、その筋の教科書を読んだり、そうでなくても入門的な本(典型的には新書など)を読んだりするのがおすすめです。大抵のことは言われているので。そういうことをしていますでしょうか。

僕があんまり、インターネット(特にTwitterやnote)の好きじゃないところとして、何か疑問にぶち当たったとしても、それを本を読んで解決したりする人が少なそうだ、というのがあります。「これは知らないことだ、だから勉強して知ってみよう」という方策があんまり採られてないように見える。不思議なことに直面したとしても、持ち合わせの知識でまとめるのみで、「そのことを知るために、もっとこういう本を読んでみよう」とかに中々ならない。で、はたから読んでいると、「それについては〇〇が既にこういう指摘をしていて.....」と口を出したくなったりします。ちゃんと本読めば書いてあることだぞと。

特に哲学チックな話題に対してそうで、例えば、自由って何? 幸福って何? なぜ法に従うの?  道徳の問題に正解はある? 哲学ってただのお気持ち表明? 肉食や動物園は許される? 価値観は人それぞれだから、私達が議論しても意味はない? などなど......
色々みんな、「不思議」には思ってそうなのだけれど、あり合わせの「知ってること」を使うのみ述で、そこから先もっと調べようという姿勢があんまり見られないように思います。
そこがなんというか、勿体ないなとも思ってます。だって、それについて古今東西色んな人が議論を重ねて、より「もっともらしい」答えに近づいてきたし、しかもそれが図書館という形で身近なところにもあるのだから、もっと使えばいいのになって。忙しくて使えないとしても、「使いたい」という姿勢ぐらい見せればよいのにって。なぜに、今自分が持っている知識だけで、疑問への答えとしてヨシとしているんだろうと。本を読んだり勉強したりすれば、より洗練された(合理的で一貫した)答えに近づいたり、自分の知らない世界が見えてくるかもしれないのになあと思ったりしてます。

で、これが今日言いたいことなんですが、別に勉強しても、「疑問」の数って減らないんですよね。むしろ増えるだがそこが面白い。新しいことを知れば知るほど、逆に知らないこと、すなわち「不思議」が増えていくばかり。なんで? と思うけど、そうなっている。それがこの世界の面白いところだなあと感じたりもしてます。

一応例を出すと(読まなくてもいいです)、例えば「なぜ法に従わなければいけないのか?」という疑問があったとする。多くの人の直観では、「従わないと罰せられるから」という回答になりそうです。

ただ、ここで法学の入門書とかを読んでみると、「それは私たちが法に従う『動機』であっても、従わなければならない『理由』とはならない」と書かれていたりします。
例えばセクハラなどは、男女雇用機会均等法がきちんと整備されるまで、特に「罰則」の付く問題ではありませんでした。他には飲酒運転なども、平成20年の厳罰化までは、そこまで強く咎められておりませんでした。強い罰則はなかったわけです。

で、そういうときに、私たちがセクハラや飲酒運転をしてはいけないのは、こういう罰則ができたからなのか? 「法に従う理由はそうしないと罰を受けるからだ」と考えると、そういうことになってしまいそうです。罰を受けなかった時代は、別にやっても問題なかったのだと。

ただ、私たちは通常そうは考えないはず。罰則はあくまで、私たちがそうしないための「動機付け」であって、やってはいけない理由は他にあるわけです。セクハラなら「相手を傷つけ、不利益を被らせるから」やってはいけないし、飲酒運転も「極めて人命を奪う可能性が高くなるから」やってはいけない等々。
ただ、これだけで話は終わりません。

そうすると、「じゃあその『やってはいけないこと』って誰が決めてるの?」という疑問が湧くわけです。セクハラの厳罰化とか、一体誰が決めたことなんだと。もちろんそれは国会議員なんだけれど、そうするとじゃあ「なんで国会議員が作った法に、私たちは縛られるのか?」という疑問も湧くわけです。いや、民主主義だからそりゃそやろ(自分たちで選んだ代表が決めたことだから)とも言えるわけだけれど、今度はじゃあ「憲法」なんかは、戦後すぐの七十年以上前にできたわけで、これは「俺たちの」代表が作ったと言えるのかと。あるいは、日本だと18歳までは選挙権がないわけだから、子供の時にできた法律は別に「自分の代表」が作ってるわけではないぞと。なんでそれに従わなきゃいけないんだ? というのも、また一つ疑問として出てくるわけです。

疑問、無限に湧きます。本を読めばある程度の回答は得られるんだけれど、でもそれを知っても、疑問って増えるばかりなんですよ。知れば知るほど不思議が増える。じゃあこれはどうなんだとか、あっちはどうなってるんだとか。1つ知ると、追加で3つぐらい疑問が湧いてきて、それが本当に果てしないわけです。

ちなみに、漫画『堕天作戦』、皆さん読んでますか? 
これ、僕のめちゃ好き好き漫画なんだけれど、その第2話で、次のようなセリフがあります(3話まで無料なので読むべし)。

このままどんどん気圧は下がってゆくけど、逆に温度は成層圏中層から上がるんです。
不思議ですよね。知れば知るほど不思議が増えて、
あたし、この世界のこと大好き。
『堕天作戦』第2話 p23


このセリフ、めちゃいいですよね
これのめちゃ良さを共有したいというのが、今日の更新の目的でした。

話を戻すと、勉強を頑張るのって、単に頭が良くなりたいからだけではないんですよね。いい仕事に就きたいからとかだけでもない。そうじゃなくて、根本的に、この世界の面白さに気付けるっていうのが、個人的に勉強の醍醐味だと思ってます。勉強というか、学び一般ですね。

この世界って、基本的にクソだと思ってます。あんまり褒める要素がない。希望よりもいつだって絶望の方が多いし、すっごい下らないことでやりたいことを阻まれたりするし、マジでうんざりすることも多し。なんで働かなきゃ生きていけないんだ?? いやそれは個人的な恨みつらみだけども。

で、この世って基本はクソゲーなのだけれど、ただ、そんな世界でも、「割と悪くないな」「面白いな」と感じられる瞬間もあります。それが今まで書いてきた「知れば知るほど不思議が増える」という現象ですね。
こういうところに触れると、この世界って意外と面白い!! となれる。私、この世界のこと大好きです......

で、今よりずっと多くの方が、この面白さに気付いてくれたらなあとも思ってます。意外と悪くないんですよ、この世界。本を読んだりしてると、そうした神秘に接近できて、そこがすごくおすすめです。当たり前だけど、知ってることだけじゃわからないこともある。というか、会ったことのある人間より、会ったことのない人間が多いのと同じで、基本的にはこの世界、知らないことばかりです。

ので、わからないこと、不思議なこと、「これってどうなの?」と思うことがあったら、まずは図書館に行って、本を探して読んでみるべし。今持ってる知識だけで語らずに、「他の人がどんなことを言っているのか」というところも徹底的に調べてみるべし、というのが、今日言いたかったことになります。

それをある種のエリート主義とも呼べるけど、でもそれだけではなくて、「いや、ほんと、この世界って思ったより奥深くて面白いからぞ」というのが言いたいんです。なんで就職しないと生きていけないんでしょうね? それも調べてみると面白いです。まあ実際は生活保護があるので、最終働かなくても生きてはいけるんですが(そうじゃないと怪我や病気を負った人は生きる資格がないということになってしまう)。

そんな感じです。疑問や不思議にぶつかったら、まずは本を読んで先人の知恵を参照することをおすすめしたい次第です。

あ、あと、『堕天作戦』を読むこともおすすめしたい次第です。この漫画、めちゃ面白いので。今日はそんな感じです。説教くさくてすみませんでした。


単行本も買ってるぞ!