笛吹きの預言 2/3

「あたしも年齢だし、乗れるのに」
「免許取ったらね」 
そうは言いつつ、ハンドルから手が離れている。もはや自動運転が基本なんだから、自分が乗っても変わらないのでは、と理芽は思う。

車窓の霜が外の灯りをぼやかして、境界を曖昧にした。
「……ひとつふたつ昔の人達は、現実と虚構の区別が付かなくなるなんて、いちいち問題にしていたんやね。今ほど切迫していないのに」
「こんな世の中が来るなんて、誰も思わなかったのよ」 

理芽の周囲では、〝現実フィクション〟と〝物語リアル〟はほぼ同一の単語と化しつつある。異住定獣課に属する身ともなれば、それを嫌でも実感させられる。亜世代量子通信網がもたらした巨視的ゆらぎが、無数の可能性世界と自分達の暮らす現実を繋いでしまったからだ。

 あらゆる可能性が目の前に現れるようになれば、どんな虚構も空想も起こり得るものとして現実と並ぶことになる。ならば現実も、無数にあるうちのひとつの〝物語フィクション〟でしかない。分け難い〝現実リアル〟と〝物語フィクション〟の狭間に、不可測獣は現れるのだ。

 しかし、こんな状況だからこそ、理芽の今がある。 
 理芽は助手席から話しかけた。
「三杉さん。もし私が何もできなかったら、さ。能力も無くて、例えば何の才能も無かったら……」
 少し間を置いて、聞いてみる。
「それでもあたし、見つけてくれるんかな?」
 何を聞かれているのか考えて、三杉はそうね、と言った。
「難しいわね。知り合う機会も、無かったかもしれない」
 率直に答えた。柔らかい言い方でも納得しないからだ。

「でも、何もできなかったら。その代わり……きっと」
 きっと、普通に。
 それは、彼女にとっては何事も起こらず、両親が存命だった場合、ということだ。三杉も次の言葉が継げず黙ってしまった。このまま話していると不味い方向に向かうのは分かっていたが、案の定である。

 過去の事件がもとで、心身の半分が人類の枠を外れてしまった理芽にしかできないことがある。もちろん、不可測獣絡みだ。異住定獣課に協力すれば、課が後見人の選定から大学の学費、生活費やバイト代まで出す。お互いに、ビジネスライクな契約を交わしてしまっているのだ。

 それでも、理芽はときどき試してしまう。
 親に愛情を確かめるような真似を。
「……仕事抜きで、あなたが大事なのは本当よ」
 ルームミラーで様子を伺いながら、三杉が優しく言った。
 苦い顔の理芽が映っていた。

「大人の契約って汚い」
「あら、タダで学費貰える身分が良かった?」
「そういうのも、怖い」
「あらあら」
 理芽は膝を抱く。

「可能性世界仮説が本当なら、どこかで普通に暮らしている私もいるんだ」
「そっちの理芽は今、何をしているかしらね」
「そうだなあ」
 ルーフの方に目をやって、考えた。
 歌でも、歌っているんじゃないかな。


 “笛吹き”の預言は、思っていた以上に早く出力された。 連絡を受けた三杉は、マンションに帰すつもりだった理芽を乗せたまま、“笛吹き”の下へ急行することにした。
 預言の中身は、まだ誰も読んではいない。不用意な観測行為によって内容が汚染されないよう、彼女達が来るまでは接触禁止だ。
 二人は常盤木の合同庁舎を訪れた。
 そこで三杉は警備員に会釈され、VIP用のエレベーターへ入る。

「はい、カードを首にかけて」
「いつもながら、煩雑」
 背中で籠にもたれかかる理芽が、退屈そうに言った。
 サコッシュから紐付きのIDカードを出す。
 籠を監視しているこのビルの防災センターも、異住定獣課の職員で占められているため、起こるはずの問題が起こらない。地下3階までしか無いはずの表示が、どこまでも下っていった。

 やがて、扉が開いた。
 現代的なオフィスが、そこにあった。
 合同庁舎の最下部、異住定獣課の本拠地がここである。縦に複数フロアの敷地面積は、建設計画の段階から組み込まれたものだ。人工都市・常盤木が何のために造られたのか。
 それはそのまま、このあらかじめ用意されたオフィスが示している。

 異様なのは、壁に張り巡らされた真鍮色のパイプだ。昭和以前の次代に逆戻りしたような、剥き出しの気送管である。
 これらのパイプがどこまで続いているのか、その先の先は時空が平常なのか、職員も、理芽も誰も知らない。

 だが、預言は確かに送られてくる。
 これが、笛吹きの正体であった。
 笛吹きと呼ばれる気送管の、吐き出し位置に合わせてくり抜いた空間が、異住定獣課なのである。

「預言は?」
 足を止め、三杉は近くの職員に尋ねた。
 職員は、遠くの気送管から筒状の容器を取り出し、持ってきた。プラスチック製の筒を開けると、A4コピー用紙を横に丸めた紙がある。
「さて、どんな無茶振りが描かれているかしら・・・・・・」
 預言が書かれた紙を引き出そうと、三杉は手を入れた。
 その様子を見ている理芽には、思いつきがあった。
 ある種のいたずら心、と捉えてもいいかもしれない。

「後手後手に回っているだけじゃ、駄目なんだ」
「え?」
 理芽は……三杉の持っている筒を、いきなり奪い取った。
 そのまま出口のエレベーターに向かって駆け出す。

「なっ、な、何やってるの!」
 ボタンを押すと、籠が待機していたために扉が開く。
 すぐさま飛び込んだ。
 遅れて追いかける職員と三杉が、手を伸ばして叫ぶ。

「理芽、返しなさい!」
「ヤです」
 即刻、閉じるボタンを押した。
 スローに閉じてゆく扉の隙間から、筒の中に手を入れる理芽の姿が見え た。おもむろに紙を引き出し、預言を読みもせず真ん中から破ってみせる。「ああーっ!」
 下半分は丸めてサコッシュに突っ込み、上半分だけ持ってちらつかせる。
「三杉さん、ごめん。でも、きっと上手くいくけん」
 ドアが完全に閉じた。

「うぐぐ……」
 三杉がその場に跪く。下ろした腕が震えていた。さっきの車中の会話は、前触れだったのだろう。引き取った里親を試す、子供のようなものだ。切り替えて、声を張った。

「駄目だと思うけれど、防災センターに連絡、地上階の職員は理芽を止めて! あと、D.O.Eの位置をトレース、以後逐一、私に知らせるように! それと不可測獣への対応準備! 今夜だけは24時間体制よ! やってやるわ……やってやる!」
 三杉はズレた眼鏡を直して、立ち上がる。
「〝COM〟と〝FFW〟をいつでも出せるようにして」
 長い髪を流し、広げた脚のヒールがカツと鳴った。
「……大人を舐めないでもらうわ、理芽」

 上昇する籠の中で、理芽は中身を取り出した気送管の筒を床に立て、手首足首のストレッチをしていた。 四方を囲む狭い壁の隅から、不意に動く絵が現れる。まるでプロジェクションマッピングのようなそれは、太った赤い魚だ。理芽の周りを優雅に泳いでみせた。

「〝ハスター〟。引っ込んで」
 赤い魚はギザギザの口を開き、一声鳴いた。
 オゥーン。
 犬の遠吠えのようでいて、寂しがる猫のような奇妙な声。
「いい、から、消えてっ」
 理芽は屈伸。続いて脚の腱を伸ばす。
 ハスターは言われたとおりに壁の端へ泳ぎ、消えた。
「……お前は嫌いや」

 この世界に定められ、「定獣化した」不可測獣、その一匹がハスターである。定獣化は異住定獣課が誇る成果であった。不可測獣の内にある、乱れ狂う物語の中から、ひとつを選ばせる。そうして「定め」れば、害は減る。  異住定獣課は、この定獣化を目標として動いている。
 そして、それは少なからず……理芽の納得のいく結果ではない。
 エレベーターが地上に近付いてきた。

「さあッ」
 理芽は気持ちを切り替え、片足ずつ、コンバース靴の踵で自分の脚をリズムよく打った。それだけで、記号の泡が理芽の足首を取り巻いてゆく。
 自身の身体と、触れる物を不可測存在に変える。それが過去の凄惨な体験を経て、理芽が授かった能力である。
 扉が開かれ、エレベーター内に地上勤務の職員が押し込んできた。

「待ちなさいっ」
「失礼します!」
 理芽は籠を斜めに駆け上がり、職員達の頭を飛び越える。人の溜まりから逃れて、ふわりと着地すると、そのまま跳ねるように走って外へ飛び出していった。一歩一歩が月面上のように大きい。
「あ……、お、追えっ」
 あっけに取られた職員達が、また理芽を追った。

 不可測の記号を散らして、脚は動く。
 理芽はビルの側面を昇り、屋上から屋上へ飛び渡った。
 今の理芽の体重は計測不能であった。あるいは、重さマイナスとなり、反重力すら働いていたかもしれない。いまここに量りがあるとしても、まともな数値を出すことすら無く、計測を無意味化する、それが不可測化である。

 飛んだ先の給水タンクに隠れ、理芽はサコッシュに入れた紙片を読んだ。「さて、観測開始と」
 さっき破った預言の、丸めていない上半分だ。

 金色の盤が掲げる杯に落ちた頃
 迷い子は七つの流れ交わる所に浮かび上がる

「ふうん……?」
理芽は紙片を摘まんで、思案した。
「まあいいか。これで先回りができる」
 もくろみ通り。あとは謎解きだ。
 預言は大抵、上半分に日時と場所が暗示されている。
 下半分は、理芽を含む誰一人、読んでいない。つまり、その先に書かれた、起こるべき出来事は未定となったのだ。

 預言の通り動けば、必ず起きる出来事の前で、後手に回ることになる。ならば、その預言を途中から消してしまえば、先回りして不可測獣の災害を防ぐことだって出来るはずなのだ。
 口元が緩む。なんてアイデアだろう。あたしは天才かもしれない、と理芽は紙片をサコッシュに突っ込み、両手をグーにして震えた。そして、出てきた預言を、解読班に頼らず自分で解くしかないという事態に気が付いた。

 そもそも、これは今夜起こるものだろうか。理芽が頭を抱えていると、足下が動き、端からゆらりと赤い魚が現れる。ビル屋上の、格子状に区切られた平面的な床を、魚は青いひれを流して悠々と泳いだ。

 彼女を案じるように、周りを囲んで鳴く。
 オゥーン、オゥーン。
「近寄んな。って言ってんのや」
 手を払って、あっちへ行けと示すが、応じない。
 定獣化して以来、ハスターは理芽に懐いていた。

 周りを二巡りして、赤い魚影はビルの上辺を舐めるように進んでいった。 今度は自分の所に戻って来ない。
 ビルの端から、ハスターの移った隣のビルを見る。

 壁の中で、魚は悠々と泳いで、ひと鳴き。
 オゥーン。
 さらに奥のビルへ向かっていった。

「呼んでいる……?」
 理芽は助走をつけて、隣のビルへ飛んだ。
 ハスターは振り返るように一回りしながら、次々とビルを移ってゆく。
 それを理芽は追う。

 さっきの預言の「金色の盤」は簡単で、これは月だ。
 月が「掲げる杯に落ちた」頃。それが日時を指している。
 ハスターが預言を知っているのは自分の思考を読んだからかもしれない、と理芽は考えた。認めたくは無いが、理芽とハスターは精神が繋がっている。そして、不可測獣にも知性が備わっているのだ。

 ハスターは側面を伝って下に降りていった。理芽もまた、躊躇なく飛び降りる。落下速度は緩やかだ。 足首の記号化が激しくなってきたので、一旦小休止したい所だった。地上に降りるのは丁度いい。

 下では、ハスターがぐるぐると巻いて理芽を待っていた。
「ここでええか……?」
 オゥーン。
 鳴き声が返ってきた。
 ここは、建物が取り払われた空き地だ。
 道路側を除いて周りのビルに囲まれており、暗い。見つかりにくいので、理芽が飛び降りるには丁度良かったが。

「何も無いけど」
 車の横切る、明るい道路だけが見える。
 もしかして、ハスターは誰もいない所で自分に甘えたかっただけか。無駄足かもしれない。疑念が湧いたが、理芽は空き地から出ることにした。

 再び、踵で自分の脚を叩く。足首の不可測化を解けば、身体から漏れ出る記号はあっという間に収まった。これで見かけは普通の人間だ。片側二車線の真っ直ぐな通りに、綺麗に並んだ街路灯が眩しい。

「あっ」
 道路の先で視線を上げると、突き当たりに看板があった。
 グラスを掲げた男の写真、そのすぐ上に月が輝いている。
「金色の盤が掲げる杯に落ちた頃……」
 それは、今夜、もうすぐだ。

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