笛吹きの預言 1/3

※本作は「洋灰の都うずめし神椿」の前日譚にあたるお話です


茨城県常盤木
午前二時

 眩いヘッドライトの行き交いを、等質に敷き詰められた高層ビルの窓が照らして返す。そびえ立つビルは、いずれも航空障害灯を赤く明滅させて、空を囲む。歩く者の居ない高速道の、美しい夜だった。

 車載AIの相互連携によって制御された、自動運転レベル5の車列は大型配送車・普通乗用車・超小型モビリティ……、様々な車種とカラーで構成されている。それらは新しい昆虫のようにひたと止まり、また流れる。およそ雑念やストレスといったものは挟まない。

 光の交錯は地上だけではない。埋設された亜世代量子通信網もまた、光を媒介して仮想空間上に鏡写しの都市を構成できる程に、膨大な情報を交換している。まさに輝ける未来都市。古い時代の人々が見れば、それだけで詩でも生まれそうな光景だ。

 深夜の販売店に瓶や缶を運ぶ「酒のカキヤス」もまた、側面に目立つロゴを描いたピンクの車体を揺らして、その美しい車列の一部を成していた。
運転にタッチしないセルフドライバーの男は、席にもたれてうたた寝をしている。自律制御されたトラックは、運転者の注意を必要としない。だから、車載AIの発する音声を理解するのにも、時間を要したのだ。

〝車線上に立ち入る物体があります〟
 滑らかなブレーキで、乗っているトラックが負荷をかけずに静止する。
「んが、あ……?」
 いびきを止めて、男が起き上がる。膝に乗せたままのタブレットを助手席に置いて、フロントガラスを見た。常盤木市内ではD.O.Eという便利なMR(複合現実)デバイスが使えるらしいが、遠方から荷物を運ぶドライバーという職業には、無縁なものだ。
 ただ、野良な情報収集装置に顔やら眼紋やらを取られないため、セキュリティ保護のためのバッジのようなものを着けてはいる。

 彼の知らない間に、変わった場所へ誘導されてしまったらしい。歩行者用信号が赤を示す、高速道と混合道を繋ぐ横断歩道、その路上には「一時停止」標識が刺さっていた。
 今時、物理的な標識が刺さっているだけでも奇妙だが、フロントガラス上に表示される巨大な輪郭は、ドライバーの男に警告を示している。
「なんだ、こりゃ……?」
 アクシデントに対応するシーケンスが実行され、トラックがクラクションを鳴らす。短く二回、長く一回。続いて外へ、警告音声。

「車線上から退いてください」
「標識だろ……?」
〝ドライバーは対応をお願いします。危険と判断した場合はドアを開けず、警察に連絡してください〟
 こういう場合があるから、ドライバーが乗っているのだ。

 間抜けな標識が立っている道路と、この連れ込まれた予定外の道に後続車が無いのを見て、男は制御をマニュアルへと切り替えることにした。稀なケースへの対処は、いつでも人力である。フロントガラスに示される警告画面を一瞥して、「無視」を選ぶ。ギアを動かし、ハンドルに手をかけ、回しながらゆるゆるとアクセルを踏む。前方の妙な標識を迂回してから、制御をオートに戻せば解決だろう。

 ……歩行者用信号が、青に変わった。
 横凪ぎの衝撃に、景色が流れる。エアバッグが瞬時に膨張して、身体を圧迫する。車体がひしゃげる、凄まじい悲鳴。
 フレームが地面を擦り、火花が散った。

「ひぃっ」
 横転させられた。打ちつけられ、車体が滑る。シートベルトで運転席に縛り付けられたドライバーの男は、反射的に身を縮ませた。
〝衝突事故です。警察、救急への通報を実行します〟
 横転、させられた。何に?
 フロントガラスに映った輪郭。
 妙な標識。に化けた巨大な何か。

「いっ……」
 異常な事態への恐怖で、男の心臓は跳ね上がった。
 警報が響き、ひび割れたフロントガラスに表示された破損箇所が次々と増えてゆく。トラックの後部を踏みつける、ぎしりとした揺れ。
 荷台を食い破る音が聞こえだした。
 ボリボリと酒瓶ごと噛み砕いて飲み込む咀嚼音……。
 それは、常識的な物差しでは測れないものだ。

 税制優遇さえ与えられた未来都市。
 この街には、あらゆる測定を撥ね除ける怪物が、現れる。
「不可そ、不可測獣、出たぁあああ!」
 がちゃがちゃとシートベルトを掴む。
「早く、早く……外に……」
 やっと外れて、男は肩から落ち、シートをよじ登って割れた窓から這い出た。必死だった。

 置かれた状況を理解する。
 さっきは見えなかった、交通標識で組まれた骨組みの脚が、横倒しのトラックを潰していた。白い鉄棒と、青や赤の四角三角で構成された巨大な頭部が顎を開き、荷台に顔をうずめる。あたかも、はらわたに食いつくように、商品の酒をパッケージごと噛み潰している。頭を上げれば、金属の牙の間から泡が流れて落ちた。

「は、はっ、はっ、た、助けて!」
 男はもつれた足を全力で動かして、後方を何度も振り返りながら、無機質な街を走った。人の居ない美しい夜だった。男は携帯端末を取り出し、震える手でダイヤルを操作する。まず警察だ。
 背中で身の竦むような金切り声が聞こえた。あの酒を盗む不可測獣から、いますぐ助けてくれるわけではないだろうが……。
 着信音は短く、直ぐに繋がった。
 彼は叫んだ。
「“異獣課”を呼んでくれ! 化け物だ!」


 立入禁止のテープをくぐる。大きな星が描かれたコンバースの靴で、人払いされた領域へ踏み込んだ理芽は、斜めに下げたサコッシュや、動きやすそうなカットソーワンピースの裾を直してから、スーツの女性に声をかけた。
「三杉さん。すぐ呼んでくれたら、良かったのに」
「寝てるとこ起こせないわよ。午前中から夕方まで大学でしょ。時間割は把握しているんだから、呼べないわ」

 眼鏡を光らせる三杉は、振り向きもせずに答えた。
 その艶のある長い髪を、肩に届く位の自分の髪と比べる。こんな時の目さえ緩めれば、この人は素敵になるのにな、と理芽は心で頷く。

 動かない視線の先には、横転したピンクのトラックがある。引き摺られたアスファルトの傷、割れた窓と、歪みきった「酒のカキヤス」のロゴが無残さを増していた。
 惨状を認めて、理芽も目つきが変わった。側面には巨大な獣の爪痕が残っている。ただの事故現場ではない。

「えっずい、ぐらぐらこいたばいっ」
 三杉は怒りを隠せなくなった理芽に触れて、宥めた。
「落ち着いて」
「……笛吹きはなんしようと」
「今はまだ、その時じゃないって事よ、きっと」
 理芽はパンツの膝が伸びないように屈んで、俯いた。
「後手後手に回っているだけじゃ、駄目なんだ。電話取って、警察と連携するだけって、あまりにお役所。起きる前に止めなきゃ」
その様子に、三杉は溜息をついた。
「わかるけれどね……」

 二人が所属(理芽は協力者という扱いだが)するのは、常盤木市の異住定獣課という特殊な部署である。その人員は、適性を持つ者が少ないこともあり、最小限に抑えられている。彼等が扱う案件はひとつ、この街に現れる不可測獣への対処だ。

 それは、次代の情報通信技術である亜世代量子通信網が実用化されて間もなく、各地に現れては暴威を振るい、数に代えられない犠牲を出した。個体差が激しく、定型的な策を講じることが困難な不可測獣は、常盤木市が完成して以後、何故かは不明だが、出現範囲が市内周辺までに絞られるようになった。とはいえ、いつどこに現れるかは、その名の通り不定不測である。
まさに24時間体制で対応を求められる状況なのだが、最小限の人数で稼働できているのには理由がある。

「そのうち、笛吹きが預言を出すと思うから、解読班が時間を割り出したら、付き合って貰うわ。その時はお願いね、理芽」
「分かりました。今度は遠慮しないで、呼んでください」
「無理。あなたの学業が優先よ」
「うー」
 理芽が髪をかき上げた。

〝笛吹き(別称PIED PIPER)〟とは、異住定獣課がコンタクトに成功した、特殊な不可測存在である。我々よりも高位の知性体と考えられる笛吹きは、謎めいた預言の形で、課に指示を送ってくるのが常であった。それを正しく解読すると、次の不可測獣の出現日時、位置が明らかになるという仕組みである。一見、回りくどい手段を取らなければならないのは、人類と笛吹きの知性・存在軸の齟齬故であろうと思われた。

 ともあれ、指令塔たる笛吹きのお陰で、異住定獣課の大部分は24時間監視の負担から解き放たれ、また理芽も大学と課の協力者という二つの立場の両立が可能となっているのであった。必要な瞬間に、必要な人員が用意されていればいいというのが課の姿勢である。

「さて……現地調査は終わりね」
 三杉が眼鏡を直し、腕を組む。
「何か分かりました?」
 立ち上がって振り返り、理芽は聞いた。
「目撃者の証言から、古風な交通標識に化けていたことと、もの凄い怪力を 持っていること。あとは、大酒飲みなことくらいかしら」
「それって……どんな〝物語フィクション〟なんだか」
「まあ、突飛な〝物語フィクション〟の接続はいつも通りね。もっと危険な接続が成される前に、定めるわよ。送っていくわ」
 そう言い、三杉は車を見た。

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