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【理事対談/前編】いわきを本気で面白くしたい― タタキアゲジャパンのこれから(2020/03/05掲載)

<タタキアゲジャパン公式サイトアーカイブ>
本記事は、タタキアゲジャパン公式サイトに掲載されていたものです。
肩書・内容は掲載当時のものとなります。

福島県いわき市を拠点に活動するタタキアゲジャパンの理事長を務める小野寺孝晃、理事の松本丈、小山いずみ、ユアサミズキ。タタキアゲジャパンとしての活動はもちろん、それぞれの得意分野でまちづくりに関わる4人が集い、タタキアゲジャパンのこれまで、そして今後の展望について語り合いました。
タタキアゲジャパンでの活動を通して見えてきたことは?そして、自分たちの住むいわきを楽しい地域にするために、必要なこととは――?

TATAKIAGE Japan 代表/小野寺 孝晃(おのでら たかあき)
福島県いわき市平出身。磐城高校・明治大学・事業構想大学院大学卒。大学卒業後、都内IT企業に就職。技術、営業、企画、戦略セクションでキャリアを積み、さらなるキャリアUPのために、2013年事業構想大学院大学に入学。
大学院で数多くの次世代ヒーローに出会い、新たなキャリアを模索。その後、卒業論文「福島県浜通り地区の地域経済活性化」を書きあげ、実践するためにUターン。TATAKIAGE Japanに所属し、浜魂をはじめ、新事業の立ち上げに従事。現在も、地元浜通りを楽しい地域にするために、民間・行政・大学と連携して活動奮闘中!NPO法人TATAKIAGE Japan理事長。一般社団法人TATAKIAGE Japan代表理事。合資会社オノデラライフ管理常務。いわき市中小企業・小規模企業振興会議委員。いわきビジネスプランコンテスト運営委員。いわきアカデミア幹事。

TATAKIAGE Japan 理事/松本 丈(まつもと たけし)
いわき市四倉町出身。新卒で不動産ベンチャーに就職するもリーマンショック時に破産し無職を経験。その後、同郷の友人と震災後に立ち上げた夜明け市場の創業とともに、いわき市にUターン。まちの風景を変えるには、自分が頑張るだけでなく、多くのプレーヤーが生まれ活躍する状況をつくる必要があると考えTATAKIAGE Japanを設立。現在は、理事の一人として、地域を人や仕組みから変えるプロデューサーとして活動している。

TATAKIAGE Japan 理事/小山 いずみ(こやま いずみ)
福島県耶麻郡猪苗代町生まれ。高校卒業後地元での就職・アルバイトを経て21歳で上京。ソフトウエア開発会社でプログラミング、品質管理、プロジェクトリーダーを経験。うつ病を患い28歳で福島県にJターン。31歳から約10年間いわき湯本温泉で旅館を経営。着地型観光業や飲食店経営をするゆにいく株式会社の代表取締役を務める傍ら、プランニングやプロジェクトマネジメント、ディレクションの能力を活かして、地域でイベント開催や場づくりをしている。ゆにいく株式会社代表取締役。フラのまちいわき湯本温泉フラ女将。じょうばん街工房21委員。湯の街復興学園祭実行委員。

TATAKIAGE Japan 理事/ユアサミズキ(ゆあさみずき)
鳥取県米子市出身、いわき市在住のイラストレーター・グラフィックデザイナー。九州芸術工科大学(現九州大学) 芸術工学部 卒業。2000年春からIターン就職にていわき市へ移住。2010年まで車載機メーカーにて商品企画/商品戦略業務を務め、2010年にフリーランスとして独立。2015年には地域密着型のクラウドファンディングサービス「KickOFF(キックオフ)」を立ち上げ、福島県内の新しいアクションを支援している。他、2009年から平中央公園を舞台に公園イベント「アリオスパークフェス」を開催。地元・いわき市の濃厚な文化資源とのセッションを繰り広げる大所帯パフォーマンス集団「十中八九」の代表を務めるなど、幅広く活動中。mizDesignStudio 代表。(株)キックオフ 代表取締役。

新しくいわきに入ってくる人たちをサポートしたい

ー2013年に松本さんがタタキアゲジャパンを立ち上げました。当時、どのような思いでこの団体を立ち上げたのですか?

松本:2011年の冬にいわき駅前に夜明け市場という飲食店街を作りました。タタキアゲジャパンを作ったのは、それから1年半ほど経った頃です。きっかけは、夜明け市場を作ったときの経験です。ここを作るとき、Uターンしたばかりで知り合いもいないし、サポートしてくれる人もおらず、苦労したんですよ。そんな中で僕らをサポートしてくれる上の世代が何人か現れて、本当にお世話になりました。この経験から、新しく入ってくる人たちへのサポートの必要を感じて、夜明け市場の一角でタタキアゲジャパンを立ち上げました。何か始めたくても、一人だとなかなかうまくいかない。そういう人同士が集まったり、助け合ったり、ネットワークを紹介してもらったり、そういうのがないと事業の立ち上げってうまく行かないよなと。夜明け市場がなんとなく軌道に乗りはじめたこともあって、人脈も広がってきて、だったら次に自分がそういうことをやって、次に入ってくる人がチャレンジしやすい状況や環境づくりをしようという思いで始めました。

ータタキアゲベース(コワーキングスペース)の運営は同じタイミングで始めたのですか?

松本:コワーキングスペースを作ろうという話は、タタキアゲジャパンの立ち上げと同時に進みました。人が集まる拠点が必要だという思いもありましたが、それに加えて、自分の事務所がなかったからというのも理由の1つでした。僕は当時事務所を持っておらず、夜明け市場内の空きスナックを転々としていて、トイレもないような環境で(笑)自分の事務所兼コワーキングスペースを作ろうということで、ここがコワーキングスペースになりました。

小野寺:コワーキングスペースを始めたのは結構早いタイミングだったよね。

松本:当時、国内のコワーキングスペースは5か所くらいだったかな。日本のコワーキングスペースの第一人者に話を聞いたりしたながら、分からないなりに始めてみたという感じです。完成したのが2013年の夏。「コワーキングスペース作りたいんだけど金がない」という話をしていたら、設計やデザインを手伝ってくれる会社や知り合いが現れて、今使っている家具も企業から協賛してもらったものだし、壁塗りなんかのDIYもいろんな人に手伝ってもらいました。

ーコワーキングスペース以外には、タタキアゲジャパンとしてどのような活動をしていたのですか?

松本:色々な人から、「コミュニティとかコンテンツが大事だよ」ということを言われてはいたものの、そこまで大きいことはできていませんでした。自分一人でイベントを打ちまくるほどの余裕もなかったし、タタキアゲジャパンには、片手間でしか関われていなかった。コワーキングの利用者もほとんどいないし、コミュニティも育たない。でっかい俺の事務所みたいになっていた(笑)ただ、「コミュニティづくりをしなきゃな」というのは頭にあって、人が集う理由とか、そこにいけば誰かいるみたいな状況を作らない限りコワーキングはうまくいかないよな、と思っていました。その頃、鎌倉で開催されていた「カマコン」を視察にいったらすごくよくて、こういうものをいわきでも月に1回開催して、その先にコミュニティができていったらいいなぁと思って、「カマコン」を参考に「浜魂」を立ち上げることにしました。その準備をしていたタイミングで、小野寺さんがいわき市のビジネスプランコンテスト(以下、ビジプラ)に応募してたんだよね。

「浜魂」を中心に集まり始めたメンバー

ー小野寺さんは当時、都内のIT企業で働いていたんですよね?

小野寺:ビジプラに応募したのは、2014年の夏ですね。2013年から都内の大学院に通い始めて、いわきのことを論文のテーマにすると決めて、いわきと東京を行き来していました。その後、Uターンするきっかけとして、ビジプラに応募するのがいいんじゃないかと、そこで賞を取れれば自分をアピールできるんじゃないかと思ってUターン部門で応募しました。たまたま会社でビジプラの募集要項を検索したら、その日の夕方が〆切で、午後はずーっとそれを書いていました(笑)

ービジプラの結果は?

小野寺:その時は、いわきの食の6次化というテーマで応募して、優秀賞をいただきました。でも、本当にUターンするか怪しいということで、目録は事務局預かりで、結局、賞金をいただいたのは、半年後の2015年の夏でした(笑)その後、いわきの色々な会社を就業先として紹介してもらったりもしたんだけど、あまりピンと来なくて。当時、コワーキングスペースをベースとしたまちづくりが流行りはじめていたのもあって、僕もそういうのやりたいなと思っていた部分もあった。

松本:俺はそのときのビジプラの審査員をやってたんだよね。小野寺さん、戻ってこないな~と思ってました(笑)浜魂を立ち上げたいと思って準備をしていた頃でもあって、そのタイミングで小野寺さんに「そろそろ戻ってきたら?」みたいな連絡をしてみた。

小野寺:大学院は2015年の3月に卒業し、同じタイミングで、ビジプラでも賞を頂きました。いわきに戻ってきたいという思いもある一方、Uターンは現実的じゃないなとも思っていて、東京での生活に戻りつつありました。でも、サラリーマンとしてはうまくいっていたものの、モヤモヤすることも多く、こんな生活定年まで続けるのかなと思っていた時に、松本さんからメールが来て。論文を書く過程で「カマコン」のことは知っていて、会社で似たようなこともやっていたので、「カマコン」みたいなことをやるっていうのも遠い話じゃなかった。松本さんからそんな誘いが来て、次の日には辞表を出しました(笑)辞めてタタキアゲに入ったのは2015年の8月。第1回浜魂は2015年の8月22日で、その前にみんなで「カマコン」の視察に行ったんだよね。

ーユアサさんは、どんなきっかけでタタキアゲに関わり始めたんですか?

ユアサ:スタートは夜明け市場かな。

松本:まだ夜明け市場が立ち上げ準備中で、ゴーストタウンで汚かったときに、「掃除して壁にペンキ塗ろう」という声掛けをしたら、ボランティアでユアサさんを始めとしたアーティスト系の人たちがたくさん手伝いに来てくれた。

ユアサ:暇だったんだよね(笑)僕は会社を2010年に辞めたんですけど、1年経ってようやく軌道に乗ったくらいのタイミングで震災が起きて、仕事はないし。なんとなくFacebookを見ていたら、「どうやらここに飲み屋街を作るらしい、それは自分も世話になるかもしれない」と。夜明け市場の掃除とか壁塗りをやったのが、松本さんとのつながりのきっかけかな。「カマコン」を視察した2015年の初夏は、地域密着型のクラウドファンディングサービス「KickOFF(キックオフ)」をスタートした頃でもありました。

小野寺:もともと「カマコン」がクラウドファンディングと連携していて、それと同じ仕組みを作りたいと思って、地域密着型のクラウドファンディングを始めたユアサさんに声を掛けたんですよね。松本さんとユアサさんと僕と5~6人で「カマコン」の視察に行って、僕はそこで司会者の言葉を完コピした。第1回の浜魂って全部完コピなんですよ(笑)きちんと、責任者の方に了解もらいましたけどね。

ー小山さんがタタキアゲジャパンの活動に関わり始めたのも、第1回の浜魂からということですね。

小野寺:小山さんも第1回からずっと参加しているよね。ほぼ皆勤賞。

小山:その時は湯本で旅館を経営していました。東日本大震災から2~3年経った頃、湯本でも女将さんたちの中で、「湯本をなんとかしなきゃ」という機運が高まっていました。そんな雰囲気の中で、私も地域活動を自分でやっていかなきゃいけないなという思いを持っていました。そういうアンテナを立てているときに、ちょうど浜魂のお知らせをFacebookで見て、参加してみようかなと。私はいわきにJターンする前は、東京のIT関係の会社で働いていました。Jターンしてからは、ずっと地元で家業をやってきた人との感覚のズレみたいなものを感じることがあって、もうちょっといいやり方を導入したら地元のポテンシャルをうまく形にできるのに、というもどかしさを感じていて。そういう意味で浜魂に参加したというのもありました。

ユアサ:小山さんもタイミング良かったよね。まちづくりに対する気持ちが高まっているところに浜魂がスタートして、みたいな。

小山:そうですね。浜魂を通して、同じマインドを持っているような人との仲間づくりができたというのはありますね。

ー小山さんとユアサさんがタタキアゲジャパンの理事になったのは2019年から?

小山:2019年の7月ですね。浜魂には第1回からずーっと関わってきていたんですけれど。

小野寺:小山さんには、浜魂の初期の頃から運営に関わってもらっていて、ディレクションもお願いしていました。それで昨年から本格的に一緒にやりませんかということで、理事になってもらいました。そのタイミングで一緒に浜魂をやってもらっていたユアサさんも理事にお誘いして。

小山:私はもうちょっとちゃんとタタキアゲジャパンの中で主体的にまちづくりに関わっていきたいという思いがあったので、理事になったほうが動きやすいかなと。

ユアサ:理事になる前から運営会議とかには顔を出していたよね。

小野寺:この4人はちょうどいいバランスで動いている感じがするよね。松本さんは哲学的な視点を差し込んでくれる。僕は企画をまとめて人を動かすタイプ。小山さんはリスクを見てくれるし、ユアサさんは荒れたときに場を収めてくれる。誰か欠けるとヤバい(笑)

「浜魂」から広がったタタキアゲジャパンのプロジェクト

ー先ほどから話題に出てきている「浜魂」とは、福島県浜通りで頑張る人を応援するプレゼン&ブレストイベントのこと。第1回浜魂を開催したのは、2015年の8月でしたよね。

小野寺:当初はハブ型拠点を作るというNPO法人ETIC.の寄付金をもらって、毎月開催していました。最初の登壇者は、震災後いわきで盛り上がっていたいくつかのコミュニティから集めました。軌道に乗ってからは、登壇したいといってくれる人が多くて、向こう半年の登壇者は予約でいっぱいみたいな感じで。参加者も毎回50~80人くらいで、すごく盛り上がっていたよね。

小山:震災後、皆が普通の生活に戻りつつあって、なにかしなきゃみたいな機運が高まっていた時期でもあったから、そういう活動を始めたいという人がすごく多かった。

ユアサ:ポジティブなうねりができていたよね。

小山:浜魂に参加していた人たちと一緒に、ファシリテーションの勉強をしようという話が持ち上がって、ファシリテーションラボも立ち上がりました。そこでみんなでファシリテーションを勉強して、そこで学んだことを浜魂に取り入れたりもしました。初年度の浜魂は本当に勢いがありましたね。そこからやり方を工夫して、少しずつ改善してきました。また、浜魂界隈で知り合った人たちと勉強してきたことを、湯本に持ち帰るというような感じで、自分の地元と行きつ戻りつしながら活動していました。浜魂のような先進的な取り組みに集まっている人の中には、UIJターンの人も多くて、そういう意味ではUIJターンの人の力というのはこの地域には必要だと思います。

小野寺:「震災後、全国からいろんな人が支援したいといってボランティアでいわきに来てくれたけれど、みんな帰ってしまった。その中でタタキアゲジャパンがこういう活動をしていることにコミットしたい」という正会員の方の話はすごく印象的だった。地域の人たちで何とかしなきゃいけないという機運が高まっていたタイミングで、ちょうど受け皿になれた団体だったということだと思います。

第1回浜魂のディスカッションの様子(浜魂公式サイトより)

ーその後、月1回の浜魂だけではなく、スピンオフイベントも何度か開催しましたよね。

小野寺:ふくしま復興塾やいわき青年会議所、バッテリーバレー機構などの団体とコラボした浜魂を開催したり、「おでかけ浜魂」で、田人地区や常磐地区などいわきの各地に足を運んだり。一つの企業について集中して考える「がっつり浜魂」を開催したりもしました。運営は毎回変えていて、他団体との連携などを意識しながら企画しています。

ー浜魂をやってきて良かったことは?

小野寺:浜魂をやってきて本当によかったのは、地域の面白い人たちに、たくさん出会えたということ。誰が何をしているのかとか、誰が本気なのかとか、浜魂のネットワークを通じて知ることができました。僕らの活動の土台は、浜魂と会員の方のネットワークです。そこからたくさんの情報を拾うことができているのが強みだと思います。

ーその後、地域実践型インターンシップ、いわき若者会議、プロ人材コーディネートと浜魂以外にもさまざまなプロジェクトに取り組んでいます。

小野寺:実践型インターンシップは、最初は産官学連携を推進する「いわきアカデミア推進協議会」と連携して一緒に開催していました。

小山:インターンシップというと「学生の研修」というイメージが強いけれど、私たちがコーディネートしている「地域実践型インターンシップ」は、実際には企業側の課題解決という意味合いが強い。回数を重ねるごとに、その意味合いがだんだん定着してきたかなという感じはあるよね。

小野寺:それは、それぞれの地域のコーディネーターによって考え方が異なる部分ではあるけれど、僕らは経営者の経営マインドの改革だったり、学生を活用してその地域にどうやって価値を付与するかということに重点を置きたい。2016年の春からは、復興庁が東北で実践型インターンシップを始めるということで、そちらの枠組みで実施することになりました。

ーいわきでの地域実践型インターンシップは、2020年春で7回目を迎えますね。

小野寺:回数を重ねるごとに、プロジェクトの成果が上がってきています。これは、何度もコーディネートを繰り返し、コーディネーターの質が上がってきたということも要因だと思います。プロジェクトが面白くなかったり、いわきが面白い地域だということが外向けに伝わっていないと、いい学生は来てくれない。今は、いろいろな学生がいわきに入ってくる機会が増えて、楽しい地域になっているという雰囲気がある。さらに、受け入れ企業さんに対する僕らのコーディネートの質も上げることができていると思います。このタイミングであの企業に声を掛けてみようなどと、僕らのほうでタイミングを図ってコーディネートをしている。地域のプロデュースを意識したコーディネートができるようになってきた感じがします。

地域実践型インターンシップ

ーいわき若者会議のはじまりは?

松本:いわき若者会議はいわき市主催で開催している企画です。最初は、ゲストとして関わっていましたが、途中から運営に入ってほしいということになり、運営側として、いわき出身の大学生たちをサポートしながら、一緒に活動するようになりました。

小野寺:松本さんは面倒見がとても良いので、当時のタタキアゲベースには高校生や大学生がたくさん集まっていた。面白い大人を紹介したりもしていたよね。松本チルドレンがいっぱいいるんですよ。

松本:その頃、高校生、大学生向けのイベントに呼ばれて話をすることが多くて、その後のプロジェクトのサポートとか進路相談とかで、いっぱい来るようになったんだよね。当時はそこに時間を結構割いていたし、地域の大人が本当はもっとああいうことをやらなきゃいけないんだと思う。

ーいわき若者会議の運営をサポートすることで、タタキアゲジャパンの活動に広がりはありましたか?

小野寺:若者会議で大学生と関わることで、若者の感覚を共有できるということは大きいですね。インターン生への対応の仕方も分かるし、大学生に響くプロジェクトの作り方も分かる。僕らが活き活きと活動できているのは、大学生のコミュニティを持っているからだと言われたこともあるくらい。あの世代の考え方や思考を共有できているのは、新しい企画をどんどん打てるということにも繋がっているんじゃないかなと思う。正直、最初は大学生の扱い方が分からなかったけど、今は歳の差なんて気にせず、一緒にプロジェクトを進めています。

ー2019年から取り組みはじめた、プロ人材コーディネート事業は、どのようなきっかけで始まったのですか?

小野寺:いわきにはいいものを持っている人や企業が多いのに、日本一を狙っている企業が少ないということをもどかしく思っていて。もっと外からの刺激を受けないとダメだという思いがあって、プロ人材コーディネート事業を始めました。実践型インターンシップやプロ人材コーディネートは、企業の伸びしろを伸ばしていっている感覚です。

松本:地域の面白い仕事を作るって、僕らもっとできそうだよね。老舗の企業であっても、経営者が困っていることって実はいっぱいあって、でもその見せ方や切り出し方が分からないということもあると思う。どの会社でも面白い仕事って作れると思うし、高いスキルを持っている人が力を活かせるポジションって、実は作れると思う。そんなことが、この先できたら面白いよね。

小野寺:経営者の方に、常に新しい事業に取り組んでいくマインドを持ってもらうということが大事。そういう経営者が増えていったらいいなと思いますね。

プロ人材コーディネート

文・菊池裕美子
写真・沼田和真


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