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どこでも、誰にでも「キレイ」を届けたい!「福祉×理美容」で垣根を越えたサービスを(2020/11/11掲載)

いわき市内郷にある「ヘアー・クリエイティブ・ロダン」は、大人から子どもまで、家族みんなで一緒に通える町のヘアサロンです。
そんなロダンでは、髪を切りに行きたくてもお店に行くことが難しい方のために「訪問理美容」と「移動式店舗」のサービスを行なっています。
それは、先代である父・鈴木英治さんと2代目・明夫さんの「理美容を通して社会に貢献したい」という想いから始まりました。
高齢や病気などでお店に足を運べない方にも、理美容室のない山間部地域に住む方でも、「お店に来られない方へ理美容を届けて笑顔にしたい」と尽力するロダン代表・鈴木明夫さんに、今までの道のりと、これからの展望を伺ってきました。

<タタキアゲジャパン公式サイトアーカイブ>
本記事は、タタキアゲジャパン公式サイトに掲載されていたものです。
肩書・内容は掲載当時のものとなります。


原点は「理美容で誰かの心を軽くしたい」という想い

ー創業されて45年ということですが、まずは「ロダンの歴史」から教えてください。

ロダンは、父の代に〈いわき市立総合磐城共立病院(現いわき市医療センター)〉の中の理容所から始まりました。

理容所では、患者さんの髪を切ったり、頭部手術の際の剃毛を行なったりしていました。病院の中なので、体の不自由な方を目の当たりにしていた父はいつも、患者さんの心を少しでも軽やかにしたいという想いを抱いていたようです。

今の場所(内郷御厩町)にロダンの店舗を構えてからも、世話好きだった父は、困った人がいれば家族のように寄り添っていました。家族皆さんで通ってくれるお客さんも多く、髪を切る目的じゃなくても、ちょっとお茶を飲みに来るような方もいて、町の人たちが自然と集まってくるようなお店でした。

困っている人へ手を差し伸べ続けてきた父の存在

ーどんなお父様だったのでしょうか。

父は3年前に他界してしまったのですが、世のため人のために動くような人でした。困っている人がいたら何かしてあげたいという想いで生きていた人だったと思います。

お葬式の時には1000人以上の方に列席いただき、道路が渋滞して警察が出るほどでした。家族も驚くぐらいたくさんの方にお越しいただいて、それほど僕たちの見えないところでも、誰かに手を差し伸べていた人だったのだなと改めて思う出来事でした。

明夫さんの父・鈴木英治さん


ー鈴木さんもお父様のようになりたいと思ってこの道へ進んだのですか?

実は僕にとっては理想的な父親ではなかったんです。忙しい人でしたから、普段は一緒に食卓を囲むようなこともなく、父親らしいことをしてもらった記憶がないというか…。だから、子供の時は父のようにはなりたくないと思っていたんです。

人生の転機は交通事故。母から受けたシャンプーの思い出

ー意外でした。そんな鈴木さんが理美容の道へ進む〝きっかけ〟は何だったのでしょうか?

高校卒業を控えた2週間前に交通事故に遭ったことです。幸い一命をとりとめましたが、3ヶ月間の入院生活を送り、皮膚移植もして、何回か手術をする大怪我を負いました。

一人でトイレにいけない、お風呂にも入れない、寝たきりでどん底にいた時に、母親にシャンプーをしてもらう機会がありました。それが感動するほど気持ちよくて、ふっと心が和らいだんです。その時、「理美容で人の心を軽くできるんだな」と初めて実感した瞬間でした。

ーそこから理美容を目指されたのですか?

いえ、ハサミを握れるかどうかもわからない状態だったので、退院後は、合格していた福祉系の大学に進学をしました。そこで福祉に触れ、施設のボランティアなどに関わるようになって、体の不自由な方と接することで、理美容を通して役に立てることがもっとあるんじゃないかと気づいたんです。

これから自分のやりたいことと、困っている人へ手を差し伸べてきた父の姿がやっとつながった気がしました。それが「訪問理美容」です。

外出困難な方へ「どこでもロダン」サービスのスタート

ー「訪問理美容」とロダンをどのようにつなげたのでしょうか?

父は以前から「本当に困っている人のもとへ理美容を届けたい」と言っていました。

それなら、「困っている人たちのもとへ自分たちから足を運んで行けばいいんじゃないか、福祉と理美容を掛け合わせたらもっとしてあげられることがあるんじゃないか」と思い、自分なりに訪問理美容について学び始めました。

父を大学へ呼び寄せ、教授と3人で話し合ったこともあります。父も訪問理美容を受け入れてくれて、ロダンで訪問理美容サービス「どこでもロダン」が実現しました。

ー大学時代にお父様と「どこでもロダン」をスタートさせたんですね!その行動の原動力となったものは何だったのでしょうか?

僕は、高校生の時まで誰かのために何かをしたいなんて思ったことがありませんでした。でも、いざ自分が交通事故に遭い、寝たきりの生活になり、傷も残り、見た目で他人からの視線を感じる立場になって、初めて人の気持ち、体の不自由な方の気持ちを理解できるようになれたのだと思います。

それから、大学で福祉に触れたことも大きかったですね。父の背中をずっと見てきましたから、あの頃の自分は誰かの役に立つことで自分自身も変わりたいと思っていたのだと思います。

修行を経て上京。父の死をきっかけにUターンを決意

ーそれからお店を継ぐまでには、どのような道のりを歩まれてきたのでしょうか?

大学卒業後に理容師の通信教育を受けながら、郡山市の理容室に住み込みで就職をしました。そこでは「仕事は見て覚えろ」という職人的なスタイルで、朝から晩まで仕事をして、夜遅くまで練習をする日々でした。

器用なタイプではないので習得までに苦労しましたが、少しずつ理容の技術を身につけていきました。でも、もっと仕事の幅を広げたいと思うようになり、ずいぶん悩みましたが4年ほど勤めた後に店を辞め、上京をしました。

東京では美容室に入り、働きながら夜間の美容学校に通いました。東京はやはり刺激的ですし、店のオーナーからは経営のノウハウまで教えてもらっていたので、仕事にやりがいを感じていました。「東京でずっとやっていこう!」そう思っていた矢先に、父が倒れたという連絡が入りました。

実は父とはロダンの経営のことでよくケンカをしていたんです。倒れる1年前にも大ゲンカをして「俺はもう絶対帰らない!」と言って、1年ぐらい口もきいていませんでした。

でも、父は倒れて病気が発覚してからあっというまに亡くなってしまいました。迷っている暇などなく、「ロダンを守るのは自分しかいない」と継ぐ覚悟を決めました。

ーお店を継いでUターンされてからのことを教えてください。

ロダンを実際に継いでみたら、時代の流れもあり、経営は思っていたよりも悪化していました。従業員の生活も守らなければいけないし、まずは、経営を立て直すところから始めなければいけなかったので、最初の一年は本当に苦労しました。

父を慕ってお店に来てくれていた常連さんも多かったので、僕の代になったロダンをなかなか受け入れられないお客さんもいました。でも、父と僕とでは積み上げてきたものが違いますから、結果を出していくしかないと思ってやってきました。おかげで今は、少しづつ応援してくれる人も増えていると思います。

父の夢の続きを。移動式店舗「ロダンバス」をスタート

ーロダンでは訪問理美容の他にも移動式店舗を行っていますが、どうして始めようと思ったのですか?

店を継ぐに当たり「父の夢まで丸ごと引き継ごう」と心に決めていました。それが「移動式店舗」です。

訪問理美容は法令によって、対象が病気や高齢などで店に来られない人に限られてしまっているんです。障がい者の付き添いや家族の方までは、希望をしても利用できないことが課題でした。

お店と同じように衛生基準を満す「移動式店舗」があれば、もっとサービスを行き届かせることができるのに…と、それを実現させるのが父の夢でもありました。

ー実際にどのように実現させたのでしょうか?

クラウドファンディングで呼びかけ、全国の方からご支援をいただきました。おかげで2tトラックを購入することができ、荷台を理美容室に改装し、リフト付きで車いすでも利用できるように改装しました。

地域の課題でもある、高齢化の進む山間部や、帰宅困難区域など、サービスを行き届けられずにいた場所でも伺うことができるんです。お客さんがキレイになって喜んでくれる姿を見ると、自分もやっぱり嬉しいですよね。

お客さんの心に寄り添う訪問理美容「どこでもロダン」の意義

ー訪問理美容「どこでもロダン」ではどのようなお客さんからのニーズが多いのでしょうか?

病気やケガで来店できなくなってしまった方、認知症や寝たきりなどで外出が困難な方、障がいをお持ちの方、最近では、コロナで外出が不安だという方や、外出自粛で足腰が弱ってしまったという方からのニーズも多いですね。

また、遠方に住んでいる娘さんから両親へプレゼントとしたいという相談を受け、伺うようなことも増えてきました。

理美容はみだしなみだけじゃなく気持ちまで明るくしてくれます

皆さん、髪を切ること以外に、お喋りすることも楽しみにしていてくれるんです。それだけ孤独な人が多いのが現状です。訪問して顔を合わせ、会話を楽しみながら身だしなみを整えて、元気になってもらう。そこまでが、訪問理美容の大切な過程だと思っています。

ー訪問理美容を行っていて感じる課題はありますか?

実は今、3ヶ月先まで予約がいっぱいなんです。これだけ多くの人が訪問理美容を必要としているのに、それをやる人がいないというのが現状です。なので、もっと訪問理美容に興味を持ってもらえるように魅力を伝えていくことが自分の役割だと思っています。

明夫さんの姉・橋詰 光子さん。介護職員初任者研修、産前産後ママヘルパーの資格も持つ

実際、メディアでも取り上げてもらうことが増え、少しずつ認知され始めているので、ロダンのノウハウをオープンにして、どんどん広めていきたいです。将来的には、訪問理美容の協会を作り、訪問理美容をやりたいという方のサポートに回りたいと思っています。

もっと地域と関わる開かれたコミュニケーションを

ー鈴木さんはUターンをされていますが、帰ってきて感じる地域の課題はありますか?

地域全体で関わりが希薄になっていることです。ロダンも、僕の代になって来にくくなってしまったお客さんもいると思うので、もっと地域の人たちと関われるお店でありたいと思っています。

なので、店の外には、地域の人の憩いの場になれるようにベンチを作っったんです。ベンチで休むおじいちゃんおばあちゃんの姿や小学生を見ると嬉しいですね。

昔のようには行かなくても、地域とできる範囲の関わり方があると思うので、自分たちなりの関わりを作っていきたいと思っています。

「迷い人を地域につなげる」タタキアゲジャパンの役割

ー今回、タタキアゲジャパンのプロジェクト「2020年夏・地域実践型インターンシップ」の受け入れ企業として参加いただきましたが、学生たちとはどのような関わりがありましたか?

すごく楽しくて、終わったあと、初めて付き合った人と別れた時のような気持ちになり、寂しくて一週間ぐらい気持ちを引きづりました(笑)

コロナ禍でオンラインでのやり取りという慣れない部分はありましたが、それぐらい学生たちと濃い時間を過ごせたと思います。

「ロダンバスの新たな活用方法を考え、新しいサービスを提供しよう」という課題でしたが、やる気のある学生たちが挑戦してくれて、「海辺で冷やしシャンプー」という面白い企画も生まれました。

また、美容学校ともつながりができ、訪問理美容について学生たちに伝えられたことも大きかったですね。

今でもインターンの学生とはやり取りがあるんです。彼らには最後に「自分のやりたいことに向かって行動を起こせ」という課題を下したのですが、コーヒー好きな学生がパッケージデザインまで全てオリジナルで作って商品化をしました。

いつかロダンとコラボでオリジナルコーヒーを作れたらいいねなんて話もしていて、実現することが楽しみですね。

ーそのようなつながりも生まれたのですね!今後、タタキアゲジャパンに期待することがあれば教えてください。

実は、「タタキアゲジャパン」は東京に住んでいる時からネットで調べて知っていて、気になる存在でした。

自分もそうでしたが、Uターン者とかIターン者って地域と溶け込むまでに時間がかかるんです。でも、そうしているうちに、いつの間にか鋭さを失ってしまうような気がします。せっかく起業しようと思ったり、何かをしたくて地元に戻っても、時間と共にどんどんチャレンジが難しくなってしまうんです。

タタキアゲジャパンには、地元で面白いことにチャレンジしている人とつないでもらえたり、プロジェクトに参加させてもらいうことで、地域とのつながりができ、可能性を広げてもらいました。

これからも「迷い人を地域につなぐ」役割をタタキアゲジャパンにやっていってもらいたいですね。

若手を育てる人材育成に力を入れていきたい

ー最後に、鈴木さんの今後の展望を教えてください。

今後は人材育成にも力を入れていきたいと思っています。というのも、大学卒業後に就職した理容室で「見て覚えろ流」のやり方に苦労した苦い経験があるからです。

実は、自分と同じような経験をしている人は多く、せっかく美容師になりたいという志があっても辞めてしまう若者がたくさんいます。これは美容業界全体の問題でもあるのですが、人を育てるという環境がないんです。僕は、そこにきちんと目を向けなければいけないと思っています。

人を育てる仕組みを作り、若手を育てるスキルアップのためのサロンを作ることが今後の僕のチャレンジです。

写真・文 奥村サヤ

ヘアー・クリエイティブ・ロダン
福島県いわき市内郷御厩町1-206
TEL:0246-26-7265
定休日:月曜、第1火曜、第3日曜
HP:http://creative-rodan.com/
Facebook:https://www.facebook.com/saruakio/

ヘアークリエイティブロダン代表取締役
鈴木明夫(すずきあきお)

1986年、福島県いわき市生まれ。東日本国際大学福祉環境学部社会福祉科在学時に、父に「訪問理美容」を提案し、ロダンで訪問理美容サービスをスタートさせる。大学卒業後は、理容師の通信教育を受けながら理容室で修行。その後、上京し、ヘアサロンに勤務しながら夜間の美容学校に通う。父の死をきっかけにいわき市にUターン。ヘアー・クリエイティブ・ロダンを引き継ぎ、2代目として新しいサービスや試みにチャレンジし続けている。

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