受動的音楽療法としてのジャズ療法



新装・増補改訂版「ジャズる縄文人」より
「合掌土偶・国宝と集落の風景」
イラスト金子大輔
#縄文ジャズ
#心理脳科学

音楽療法とゆえば、クライアントに対する楽器や歌を使った能動的音楽療法を指すことが多いと思うが、私どもが行っているのは、ジョンコルトレーンジャズのCDを使った受動的音楽療法であり、演奏というパーソネル間の楽器による会話に集中して傾聴する。
オープンダイアローグといってよい。或いは、マインドフルネスでもある。
「今を生きる」チベット僧リンポチェはジャズは人間の脳活動に近似していると語る。マインドフルネスは仏教の瞑想から生まれた。
目の前の現実を受け止める。定例会の場合はジャズ鑑賞。に身を任す。フランクルのアウシュヴィッツ収容所ではないので、安心して身をおけます。
二部構成で、鑑賞の後はリフレクションに入る。
オープンダイアローグにおけるリフレクションは、会話した人たちと視線を合わせない位置で、傾聴者が感想を述べるものだ。
当定例会では、ジャズ演奏を聴くというスタイルを取る。
リフレクションは先の会話に対し、感想や意見を述べるものだが、先の会話に誘導や指示的発言は行ってはいけない。
ある意味、自分に向けた発言と言ってよく、気づきといってよい。
各自の気づきを先の会話したものたちが、聞くことにより、客観的に自分を見つめるプロセスであり、発言者も自分に問いかけるものである。
当定例会は、CDを使ったもので、リフレクションは、自己確認の場である。
先の発話者はCDの中のジャズという会話であり、生身の人間でなく、リフレクションを聞く対象者は存在しない。
故に、他の発言者のジャズを聴きおえた後のイメージや心や身体の変化を話してもらい、言葉を聞く、自己確認の場と言ってよい。
ここにもルールがあって、他者の発言に異論を主張してはいけない。他者の意見に耳を傾ける。
ここに、ジャズ鑑賞後のリフレクションの意味がある。
当定例会はマインドフルネスに通じる。
第一部でのジャズ鑑賞では音楽に意識を集中させる。
武満徹が言うように、ジャズは呻きでもあり、祈りであると。
ジャズメンバーのインプロビゼーションにより楽曲が創られる。
鑑賞時の心身の状態では、不快な気持ちになることもある。
特にジャズ初体験の方は叫び声にしか聴こえない人もいる。
しかし、聴き終えた後は、心身共爽快な気分になる方も多い。
ジャズはクラッシック音楽のように、宮廷や教会から派生したものでなく、庶民、就中は、奴隷といった被差別者から生まれた音楽である。理不尽で不条理な日常の苦悩から生まれた音楽である。
当定例会で取り上げてるジョンコルトレーンは、麻薬や酒に溺れた日々を精神科に受診することもなく、ジャズによる音の対話で乗り越えた。その昇華したものが、楽曲である。
コルトレーン代表作は「至上の愛」である。
米国・精神科医アウトシュラーは「同質の原理」と。苦悩している人には苦悩を昇華した音楽を勧める。
多くの人が生きづらさを感じている世の中。
変革に手篭めいている大人。諦めている大人たち。
量子論が注目されている。全ては「ゆらぎ」であると。
意識の指向性が現実を決定すると。
ここでの意識は「無意識層」まで入るから厄介だ。
※境涯は指向性でもある。
※境涯とは、中国南北線朝隋初の高僧、天台智顗(ちぎ)のあらわした「摩訶止観」一念三千の法門の「十如是」に出てくる「十回論」地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十種類の人の基底の指向性を指し、境涯という。
高望みはせず、ジョンコルトレーンの境涯とコヒーレンス(脳内同期)からいかがでしょう。さらなる「ジャイアントステップ」も可能でしょう。
定例会のご案内
神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央ケアプラザ、ケアルームにて
JR.京急「鶴見駅」徒歩5分。参加費:一般500円。障碍者手帳持参100円。第三日曜日午後2時~4時開催中。予約無し。問い合わせケアプラザ045--508-7800
縄文ジャズ療法研究所
※ 冠の縄文は共生共助の元郷を用いました。

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