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誰と一緒に居たいか

社会での居場所を失ったら、誰と一緒にいるかを選べるようになった。組織の中にいるとそうはいかなかった。

人を下に見る人、否定してくる人、あなたのためを思って言っているの。みたいな言葉をぶつけてくる人とは、なるべく距離を置くことにした。たったこれだけのことで、心が安定してきた。

例えば最近、カレーライスが大好きすぎて最近は毎日作って食べてるんだよ。って伝えた時に、私あれ嫌いなの。みたいな返しをする人とは、もうあんまり話さないようにした。

幸い家族は大抵のことを否定せずに受け入れてくれる。本当にありがたい。家族に恵まれたのが自分にとって最大の幸運だと思う。

そうしているうちに、感謝が生まれてきた。否定されない人間関係の中にしばらくいたら、余裕が出てきたのか、相手をしっかり認めてそれを言葉にして伝えたいと思うようになった。まだぎこちないけど、アンミカさんみたいに流暢にうれしくなる言葉がでてくるわけではないけど、相手を否定しないだけで、周りにいる人の居心地をよくできることを発見した。


たまに飲みにいく小料理屋さんで、近所の産廃処分屋さんの話題になった。あんまりいい話題にはならないだろうな、ちょっと嫌な空気だなとは思ったが、コミュ症が幸いしてか、話を振られずにその場は終わり、何も言わなくて済んだ。後日、その席のそばでひっそり飲んでいたおばあちゃんが、その産廃屋さんの経営者だったことを、お店の人からそっと教えてもらった。

それからはなぜか、たまたま同じタイミングでおばあちゃんと居合わせた時に、お酒とか食事の代金を、何も言わずに出しておいてくれるようになった。お代はすでにいただいております。って言葉、初めて聞いた。

そういうこともあるんだ、何も言わずにいたことが誰かをちょっと幸せにすることだって、この社会にはあるんだということを、40年以上生きてはじめて知った。どういう方法で感謝を伝えようか、いつもお礼を伝えて、あとはただ雑談するだけでいいのかなと、今悩んでいる。うれしい悩みっていうのもあることも知った。

世の中悪いニュースばっかりだけど、案外悪くないね、いいことが見えていないだけだよ。と、うちの家族とたまたまこの記事を見てくれてる人にだけ伝えたいと思った。

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