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「ジャパノミクス」って、なんどいや?

第1講 「邯鄲の夢」

「なんどいや?」は、私が通っていた学校で飛び交っていた方言で、関西弁の一種ですが厳密には播州弁です。これを私が育った河内弁で言うと「なんでんねん?」、あるいは「なんなん?」。私が今住んでいる横浜では「なんでございますか?」という意味です。

で、「ジャパノミクス」というのはなんどいや? ということですが、まずは「邯鄲の夢」のお話から始めたいと思います。

「邯鄲の夢」とは、唐の小説「枕中記」の故事の一つで、これをネタに芥川龍之介が短編小説に仕上げているので、読まれた方も多いと思います。言葉自体は、人の栄枯盛衰が所詮夢に過ぎない、儚いもののたとえとして使われてきました。

さて、1980年代に日本は高度経済成長を遂げてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となり、未来の「産業のコメ」といわれた半導体産業で圧倒的な世界シェアを持ち、強くなった円(つまり円高)は、いずれドルにつぐ国際通貨となって、東京が世界の金融センターになることを人びとは疑っていませんでした。そんな時代に育った私は、今になってそんな時代もあったことを思い出し、ふとこの故事を連想してしまうのです。
日本経済は、ニクソンショック(ドルの金兌換停止、1ドル=360円の固定相場制の廃止)やオイルショック(石油産油国による原油価格の引き上げ)などで、1970年までの年率10%もの高度経済成長はさすがに減速しましたが、持ち前の勤勉さと技術革新による生産効率の改善で1980年代に入ると再び力強く成長軌道に乗り始めました。この日本経済の強靱さの秘訣は、欧米とは異なる日本型経営システムにあるのだとして、これを当時「ジャパノミクス」と呼んだのです。そもそも「ジャパノミクス」という言葉は、当時の日本経済のシステムを説明するのに普通に使われていた造語で、単に、ジャパニーズとエコノミクスを約めたものです。そして、今を生きる多くの人びとにとってはでは考えもつかないことですが、この「ジャパノミクス」というシステムこそが、それからの世界経済の新しい普遍的なシステムになっていく可能性が高い、という意見を持つ人が多かったのです。

ところが、その「ジャパノミクス」なるものは、ある時期から全面的に否定され、「その全否定の上に」今日の日本の経済システムが築かれているということを認識している人は、今はほとんどいないのではないでしょうか。そう、この「ジャパノミクス」なるものは、日本の戦後経済史からそっくり抜け落ちているのです。試みに「ジャパノミクス」を検索エンジンで検索してみましたが、それを適切に説明してくれるサイトをなかなかみつけることはできませんでした。ひょっとしたら、少し前の経済用語辞典には出ていたかもしれませんが、そこまで改めて調べてみるには及ばないでしょう。つまり、いまや「ジャパノミクス」は、「死語」であるといってよいのです。

しかし私は、これから1980年代以降の経済事象を辿るにあたって、あえてこの「ジャパノミクス」日本型経営システムという用語を繰り返し使いながら筆を進めたいと考えています。この用語が、日本経済史から姿を消したことと、それから数十年続くことになる日本経済の沈滞との間にはなにか大きな関連性があって、それを解き明かすキーワードだと思うからです。

私に近い世代では、ひょっとしたら「ジャパノミクス」を「日本経済を奈落に落とした元凶であった」といった苦い記憶としてしか残していない人が多いかもしれません。その苦い記憶というのは、おそらく次のようなものです。

⑴「ジャパノミクス」は、そもそも日本でのみ通用する「異形の」資本主義であり、国際社会に通用可能な普遍的な経済システムではなかった。

⑵「ジャパノミクス」は、日本の「不公正な」貿易慣行を生み出し、世界経済における「公正な」取引を阻害するものであった。

⑶「ジャパノミクス」は、貿易相手国に不況と失業を「輸出」し、「近隣窮乏化」をもたらした。

⑷「ジャパノミクス」は、日本の経済構造を「硬直化」させ、長期間にわたるデフレ経済からの立ち直りの「障害」となった。

⑸「ジャパノミクス」は、公正な市場競争と労働市場の活性化の障害となり、企業や個人投資家の適切な投資意欲や労働者の勤労意欲を阻喪させた。

⑹「ジャパノミクス」の存在が、グローバリズムへの対応を「躊躇」させ、日本が世界の経済成長から取り残される結果を招いた。

⑺「ジャパノミクス」は、政財官界の癒着と利権を生み、金融の「腐敗」の温床となり、それがバブルの崩壊と深刻な金融危機を生み出した。

さすがに、これだけの罪状が並びますと、かつての高度経済成長を支えた「ジャパノミクス」も立つ瀬がないでしょう。これが、バブルの発生と崩壊、引き続き起こった金融危機、デフレスパイラルの原因を日本型経営システムの欠陥に求める「ジャパノミクス元凶説」です。確かに、1990年から2011年頃までの「失われた20年」の日本の経済の凋落は、「ジャパノミクス」日本型経済システムが壊れていくプロセスの起点と終点に完全に符合しています。
確かに、このように「ジャパノミクス」のために日本経済が沈んだんだと考えることは出来ますが、逆説的に「ジャパノミクス」が壊れたから、日本経済が沈んだんだともいうことも出来るのです。その因果関係は、実は想像以上に複雑で判然としていません。ただいえることは、その20年間に、「ジャパノミクス」日本型経営システムは壊れて、日本経済も沈んだという事実があったということだけなのです。

次回は、それを解き明かすために「ジャパノミクスと欧米との通商摩擦」について筆を進めてみたいと思います。

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