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私って最終的に燃やされるらしい

らしいね、おもろくないですか。

とはいえ葬式の形態に特別関心があるわけでも知識を持っているわけでもないので、火葬を行う国を日本以外に知らないし、せいぜいアメリカが土葬であることしか胸を張って言い切れないです。でもわかる、これがおもろいことはわかる。

街を歩いている人間、子どもでもおばあちゃんでもサラリーマンでも、その大多数が人生の中で「燃やされる体験をする」という共通項を持っているんですよ。ゾッとするお揃いですね、なんだかぞわぞわします。

この年になって、自分は結局どこに行き着くのだろうと考えることが増えました。大学生は時間だけは死ぬほどありますし、周りに自立した人間が増えていくので。
死ぬほどある時間をつぎ込んでベッドの上で考え続けたわりに答えはまだ見つかっていません。夢は明確に持ち続けていたと自負していますし、それをもとに進路を選んだはずです。母親から「好きなことに熱中してる姿が好き」とハグされた回数だって数え切れないほどです。

それなのに、今その夢がぐらぐらと崩れつつあります。自分はほんとうにそれができるんだろうか、それがやりたいことなのだろうか、もっといい道があるのでは? などなど。アイデンティティの喪失をこじらせて春は体調を崩しまくりました。
つまり、60点でいいや〜! 来世に期待期待! と軽やかに笑えていた私ですが、自分の人生に欲が出てきたのです。

答えは依然みつかりません、もしかしたら一生見つからないのかもしれません。

けど、最終的に私が燃えカスになるってことはわかってるね。火葬万歳、もし肉体がそのまま地中に埋められるのだとしたらもう少し心持ちが違っていた。

焼かれて微細な粒子になって(結構な量の骨は残るかもしれませんが、そんなもの誤差です)、風に揺蕩って世界中に散らばるのなら、それまでの過程がどうであれもう良いと思えます。だって、受け入れてくれるらしいじゃん。私を世界中にばら撒くこと。つまり、世界に許容してもらえるんでしょ、私の存在。ならそれまでどう生きようがもういいな、怖くない気がする。

焼かれることを楽しみに、と言うと色々怒られてしまいそうなんだけども。いつか来たる世界に許される日を心待ちに、私は些細なことでうじうじ悩んだりえんえん泣いたりしながら生きていくのだと思います。

目指せ、燃えカス。私は可燃性。


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