友達に楽しみがたくさんあって嬉しかった


大学の友達、資格の合否とかコロナ禍とかで色々あって、踏み込んで話すとお互いに傷つけてしまうから、軽い話だけするようになった。

自分も相手も問題があったわけでもなくて、構造と状況の結果なのだけど。

私は本当は友達になりたかったし、相手もそう思ってくれてたと思う

大学で、優れてない人は傷つけられてもいい、みたいな価値観を押し付けられて、それでお互いに傷ついた。

わたしはわたしのこと惨めだと思ったし、似たような境遇の彼女のことも、無意識にどこかでそう思ってたんだと思う。

でも最近になってやっと、人の価値は優劣で決まるわけじゃないって心の底から思えるようになった。

卒業式で彼女と少し話した。
楽しみがたくさんあるみたいだったし、袴も彼女のこだわりが随所に見えてとても綺麗だったし、就職先の研修に行ってると言っていた。

自分は、もう彼女のことも怖がらなくていいんだと思った。何か話したくても傷つけてしまう、って思わなくてもいいんだ。

とても素敵だったしやっぱり改めて、人としてとても素敵だと思って、画一的な価値観で評価することの意味のなさを感じた。

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