シュタイナーを初めて読む。

シュタイナーはドイツ、オーストリア圏の神智学者。(厳密には人智学)
ここしばらく、ウクライナ戦争の報道を半分耳にしながら、シュタイナーの解説書を読んでいました。

シュタイナーは第一次世界大戦のさなかから病に倒れる1926年まで、膨大な講演録を残していて、それが書籍化されています。
彼の生きた時代背景が非常に興味深かった。
彼の時代、ドイツはビスマルク外交でヨーロッパの比較的安定した状態を維持していた。

当時のドイツ(プロイセン)は今日の歴史学者が考えるような…コワモテ…の強兵国家ではなく、
西にフランス、東にロシア…この両国に挟まれたカタチの不安定な国だったらしい。


司馬遼太郎が昭和40年代後半に書いた『翔ぶが如く』に明治5年のベルリンの描写が記憶に残っている。
維新の元勲だった木戸孝允と大久保利通がビスマルクに謁見するために、かの地に滞在していた。
その時、時間つぶしに立ち寄った動物園で木戸孝允(桂小五郎)は奇兵隊の時山直八(北越戦争で死亡)のことを思い出して涙する。
…この年、フランスのナポレオン三世はセダンでドイツ軍に囚われる。
この時のパリの情景を山県有朋と岩倉具視は目に焼き付けていた。
文学好きならばここで、
シュールレアリズムの元祖…詩人ランボーとヴェルレーヌの話を思い浮かべると思う。






フランスの自然主義文学
モーパッサン、フローベール『ボヴァリー夫人』どちらも強烈なニヒリズムで世界を捉えている…。
これ以前に、ドストエフスキーが『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を遺しているが…。
日本では小林秀雄が『ドストエフスキーの生活』でニーチェとドストエフスキーはどう違うのか、をテーマに延々とニヒリズムについて語っている。

シュタイナー

日本で紹介されたのは1980年代に翻訳された、コリン・ウィルソンのミステリーズ。
かなり大雑把にふれてある。
この時代…アメリカはニューシネマの時代。
アーサー・ペン
ボグダノヴィッチ『アリスのレストラン』それから、『雨のニューオリンズ』


本格的に日本で有名になったのは、ユング派の心理学者、秋山さと子が講談社現代新書から『夢診断』を出した頃だと記憶している。

この次期にエンデは西ドイツを舞台にメジャーな存在となっており、ニュージャーマンシネマのブームも始まっている。
『マリアブラウンの結婚』は非常に胸を揺さぶられた。

ドイツにはドイツの言い分がある。

昨日は…雨の中、自宅で『ボルトン回顧録』を読んでいた。
その中に、旧東ドイツ出身のアンゲラ・メルケル首相のノルドストリーム2に関する発言が取り上げてあり、
戦中、戦後、いかにNATO国と旧ソヴィエトが激烈に対立していたかを思い知らされた具合だ。





19世紀後半
シュタイナーは、最初、ジャーナリストとして学術誌の編纂に携わった。
その後に、とある神秘主義者と出会い、ゲーテとフィヒテ(歴史学者)の研究に携わる。
彼はもともとカントの純粋理性批判をほぼ独学で読破した。
この純粋理性批判のなかで最も興味深い概念が…『物自体』だ。



やがて、彼は作家のグラツェ夫人のサロンに入る。
ここで、唯物論のカウンターとして
Geisteswissenshaft…ガイステスヴィセンシャフト…精神科学
の講演を開始する。
シュタイナーの講演録…とくに月紀とルシファーの内容は、グルジェフの水素番号96が月につながっており、やっとわかった。



80年代の村上春樹の長編『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の中に…世界はメタファーでできている…みたいな一節があった。
このメタファーはどういった根源があるか?について滔々とシュタイナーは語る。これが、後に彼が篤志家バンドルフ・アストリア社が始めた…シュタイナー学校の基本理念になっている。
(専門の方には申し訳ないです…分かりやすくするために、そう表記させてもらってます)

やがて、オーストリア公国の皇太子がセルビアで暗殺される。
これにはバルカン半島の多民族国家情勢を安定させようとしていた勢力と大セルビア主義の拮抗が原因になっているらしいが、オーストリアはここで戦争を宣言する。
この時、ドイツはヴィルヘルム2世の執政期であった。
彼は後にオランダへ亡命するが…。
因みに彼が亡命したオランダの邸宅は、『ローマの休日』でデビューしたオードリー・ヘプバーンの祖父ヘムストラ男爵の住処。

この中で、よもや世界大戦に突入するとは誰も考えていなかった。
ロシアは日露戦争以降、政情不安が続いており、皇帝ニコライ2世は外征の一手に出る。

この政局の中でシュタイナーは陸軍参謀本部でフリードリッヒ・フォン・モルトケ(小モルトケ)と会談している。

このことが、大戦後、ドイツのデートリヒ・エッカルトの逆鱗にふれた。
シュタイナーの人智学が世に広まるとどう時にミュンヘンを拠点にドイツ国家労働党は国民に拍手で迎え入れられた。








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