レペゼンとゲームエンジンについて

ゲームエンジンはレペゼン的だな、と思った。
マイナーエンジン使う人が
「〇〇で作りました!」ていうとすごい!
みたいなあの感じ。(制作者にしか通じない)

ラッパーもレペゼン群馬とかいうと
えー田舎なのにかっこよすぎ!(失礼)
って絶対なる。

自作エンジンなんかアーティスト感出るからね。
じぶん自身レペゼンなんだ。自作エンジンは。

この感覚は、非効率の指摘に対抗できると思う。
効率じゃなくてレペゼンなんすよ(暗黒微笑)

OdencatとEbitengineの関係みたいなね。
https://levtech.jp/media/article/focus/detail_434/

ゲームが作品でエンジンがレペゼンで仲間はクルーなのだ。
そういう概念はこれから大事してよい気がする。

最近instagramが非公開アカウントめっちゃ多い。
唐突な話をするけど。
特に一般の芸能活動してない人。
そりゃそうよな。今時スパム除けばネットで発信して楽しいことなんてあまりない。芸能活動する人はちゃんとパブリック。

時代とともにそういうすみわけが進んでる気がする。
ネットで楽しく過ごす→友達間のinstagram,
同士と集う→discord。
でyoutube、tiktokなんかはテレビ感覚。


何が言いたいかっていうと
ネットに"地元"ができ始めてるんじゃないかってこと。
パブリック空間ネットは仲間たちとわいわいする場所じゃなくて、
『外』なのかも。


でね。ゲームエンジンの話に戻ると
こういう"レペゼン"が大事な気がして。
数字じゃなくて、おもしろを追求するために。

生成AIや検索アルゴリズムの氾濫による体験の無味無臭さから、
感動を取り戻す手立ては
レペゼン的なものではなかろうかなんですよ。

見知ったdiscord仲間とか、
友達づてのinstagramとか、
マイナーゲームエンジンとか、
100人程度のオンラインイベントとか。

それは単なる内輪ノリで、普遍性のない、つまらないものになるかもしれませんけども。そういう中ですごいものが生まれたとき、
レペゼン的に輝くんじゃないだろうか。

こういうことばかり考えてしまうのも、
昔のネットの栄えとアングラ臭さの交差点にすごい未練があって、
今のうすい商主義的ネットに失望しているからだと思う。

それを打ち破るのがレペゼン的感性なのではないか。
と、できもしない妄想して今日も寝る。

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