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相良宗介の新生

 フルメタル・パニック本編最終巻読了の感想。

「最終的にどうなったか」の感想なので以下どうやってもネタバレ。注意されたし。




 本編の主人公である相良宗介は、決して軍人として天賦の才能をもった人物ではない。
 戦争と無縁の平和な陣代高校、あるいは最新機能が衝突する最前線からは遠く離れたナムサクの闘技場にいたからこそ際立っていたが、マオに言われ、本人にも自覚のあるとおり、彼に勝る才人は多くいる。宗介は、決して殺しに向いた人間では無い。カリーニンには、はっきりと「才能がない」と指摘されていた。

 核ミサイルが迫るメリダ島で、そのカリーニンと宗介は対決する。
 強大だと思っていたカリーニンに、ついに粘り勝ちした宗介が馬乗りになった。しかし、最後のとどめを刺すことができない。カリーニンは、宗介にとって親父も同然なのだ。無言で止まったそのナイフの先から、心臓に届かなかったナイフの先から、宗介の思慕がカリーニンに伝わっていく。それが、寡黙を貫いてきたカリーニンの、最後の殻を砕いた。

 彼は宗介を評して「お前は、狼の群れの中で育った子羊だ。狼のまねをしなければ生きていけなかった」と語る。「これほど悲しい生き物が、どこにいる」

 自分を親父と慕い、狼の掟をたたき込む自分の戦闘訓練に、必死になってどこまでも我武者羅になって着いてくるこの才能の無い少年が、子供を失ったカリーニンには、どれほど愛しかっただろう。

「カシムや、ウルズセブンと呼ばれるべきでは無かった」

 カリーニンが、不器用に懺悔する。

「できれば、普通の生活に返してやりたかった」

 すまない。これはすべて自分の責任だと。
 暁に倒れるカリーニン。宗介は混乱する。

「お前が何者なのか、教えてやろうと思った」

 狼であるカリーニンを、子羊である宗介は刺せなかった。
 宗介は狼では無いことを証明するために、重傷を負ったまま、カリーニンは立って見せたのだ。
 自分を狼だと思い込んで、帰れるはずの道を自分で破壊してきた宗介を解放するために。

「優しい子だな」とカリーニンは宗介を突き放す。お前は、子羊に、当たり前の少年に戻っていいのだ。
 陣代高校の学生として、身分を偽ってきた。でも、もう偽らなくてもいいのだ。武器を捨てて、普通の高校生に戻ってもいいのだ。

 そう言って死んだカリーニンを見下ろして、宗介の足元が揺らぐ。

 我々は、これまで相良宗介の見事な戦闘技術を見てきた。俺はプロフェッショナルだと言い切り、高校生たちの中では異質な能力を発揮してきた。ただ、自分を狼だと信じて。

 しかし、同時に際立つ彼の不器用さは、戦場で生きることだけを詰め込み、平和な世界で生きることを学び忘れてきた未熟な魂であることを示してきた。

 ここまでは、子羊として生まれることを許されなかった、狼としてしか生きられなかった少年の物語。

 宗介が、核ミサイルの迫る中、すべての味方を逃がし、一人で取り残される。レーバテインにたどり着き、奇跡のようなタイミングで、陣代高校の級友からのビデオメッセージを見る。このときはじめて彼は「死にたくない」と、魂からの願いを、食いしばった歯の間から漏らした。

 いままで彼は、ミスリルのために、あるいは千鳥のために、必要な犠牲であるなら死んでもいいと思っていたと思う。後半ですらだ。狼であろうとした宗介は、この子羊の世界に価値を見いだしていなかったのだ。だから、いつどうなってもよかった。何十何百の人間を、任務で殺害してきた。この世界の価値を、彼は教わってこなかったからだ。

 でも彼は知った。陣代高校で過ごした日々を。
 彼は解放された。狼として生きる掟から。
 そして彼は見つけた。この世界にいたいと心から願う離れがたい愛着を。

 命を超え得るのは、愛だけだ。死にたくない。いまさら生物としての命が惜しい訳では無い。彼はこの世界に、はじめて魂から渇望する温かいつながりを見つけたのだ。

 機動戦士ガンダムの最終回。冒頭では一人で機械いじりをしていたアムロが、帰れるところがあると涙する。ホワイトベースで戦った半年の間に、彼が獲得したものがそれだ。宗介は核弾頭の着弾一分前に、それを見つけたのだ。

 彼がこの物語の間に、手に入れてきたものが、彼の魂が離れがたく愛着を感じるものが、そこにはあった。狭いコクピットの中で、宗介は泣き叫ぶ。この鉄の宮で、彼はやっと産声を上げたのだ。すべてが核の炎に焼き尽くされるほんの30秒前に。

 アルは問う。「私は人間ですか、機械ですか」宗介は返す。「自分で決めることだ」
 産声を上げた宗介が、これからどうやって生きていくか。それもまた、彼が自分で決めてよいのだ。しかし、そんなことを自覚しないまま、宗介は答える。「人間はみんな、そうしている」

 平和を生きる人間としては未熟な宗介と、人間を理解するために学習の必要だったアルは、いままで同じように成長してきた。二人は相棒であり、一体となって成長してきた二つの人格だった。

 ラムダドライバは、魂のある人間にしか発動させられない。しかし、戦闘マシーンであった宗介が魂から「死にたくない」と生きることを願い目覚めたとき、アルもまたラムダドライバを起動せしめる「人間」として、並んでその座を獲得したのだ。

 この章のラストは、絶望的な状況におかれた主人公が、伏線を回収して生還する、そうしたラストのどんでん返しにも見える。
 しかし、アルが単独でラムダドライバを起動できたことは、このどこか欠けていた未熟な二つの魂が、見事に生まれ変わったことを祝福する必然だったのだと思う。本当に感動的なラストだった。

 宗介が「死にたく・・・ない」と漏らしたときに本当に感動して、何でこんなに鳥肌を立てて貰い泣きしてるんだろうと考えて考えて書いてみた。世界改変というトンデモな話に乗ってしまっているカリーニンを責める宗介の姿が、久しぶりに実家に帰ってみたら動画に洗脳されて妙な陰謀論を信奉している親父を見た息子みたいだなあ、などと思いつつ、カリーニン少佐、暁に死すから脱出のくだりを何度か読み返して休暇が終わっていく。

 完全に余談だが、クルツの狙撃も鳥肌が立った。
 1650mという神域の大狙撃を、彼は成し遂げたのだ。
 クルツの普段の言動から、軽薄、女好きなどの性格的要素が浮かぶが、そうしたものへの執着の、その先にある領域に到達したのが感動的だった。彼はその名の通り、魔弾の射手となったのだ。

 タロスによって強制的に未来を黙示させられ、オカルト的な既視感に翻弄される仲間たち。未来が強制的に見える超常の外で、彼は人の身でありながら、単独でそこに立った。神域に到達したのだ。

 因果律は宇宙の大法則だ。原因にふさわしい結果がかならず現れる。彼は発砲する前から、その結果を認識していた。ふさわしい原因がすべて彼の中にそろったからだ。ただのビッグラッキーではなく、通常のロングショットでもない。様々な煩悩によって、どうしても濁ってしまう原因から、彼はそのすべてを取り払い、望んだ通りの結果をつかんだのだ。

 復帰後の軽薄さは相変わらずだったが、この神通を経て、本来クルツには、内面の変化があったと思う。エンタメ的にも、ラストのスピード感的にも省いてしかるべき要素だが、それでも「幸運による大成功で得た泡沫のような自信」ではなく「到達した者」としての内面を、彼は獲得していると思うのだ。そして、それを一番最初に認識するのはマオであってほしい。ふとしたところでその変化に気づいて欲しいと思う。

 本編のみ12巻まで読んだだけなので、これから番外編や短編集を読むのが楽しみだ。


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