回想と後悔。(という名の愚痴)

無職になっていて思う事がある。
そもそも自分が職歴多い人間になるなんて小さい時は少しも思わなかったし、そもそも無職になる人間だなんて想像すらしていなかった。
でも、これはほとんどの人がそうなのかもしれない。

だからこそ今思うわけだが、小さい頃からサボることを適当に覚えていた方が良かったのではなかろうか。
そう思う事が増えた。

自分の性格のことを言い切るのは非常に恥ずかしいのだが、昔から周りからも、そして自分も真面目な人間だとよく言われていた。
中学・高校はサボったことはなかったし、学生時代に勤めていたバイト先だって休んだことはなかった。
「一つの仕事はずっと続けて当たり前、何なら会社の常識。当たり前でしょ」ぐらいのことは何の疑問も考えずにずっと思っていたのだ。

この常識が自分の中で崩壊する事になったのは、新卒でようやく入れた会社でパワハラに遭って半年足らずで辞めてしまった時だ。
そこからフリーターとして点々と仕事をしつつ、正職員として働ける企業・法人を探していた。
そこから3年後に、正職員として働ける企業をようやく見つけたかと思えば、名ばかり正社員で実質派遣社員と変わらない日々であった。要するにブラック企業だったのだ。
そして次第にメンタル面で壊れていった私は、そこの企業を短期間で離職する形になってしまった。

そして今度はコロナである。仕事は見つからない。
いや、見つける気がないのではないかと最近は感じるようになってきた。
どんなに世間的に素晴らしい企業理念を掲げている会社の説明を見ても聞いても、全然働く気になれないからである。
自分の中で働く意欲が感じられないのだ。
おそらく時期と時勢の面から見て、軽く鬱になっているのではないかと客観的には思う。でも。次に来る言葉はやはり「働きたくない」なのだ。

外に出れば、人に会わないといけない。喋らないといけない。要らない事まで気を遣わないといけない。
「甘えるのもいい加減にしろ」と世間から罵られるだろうが、私は働きたくないのだ。人間に会いたくない。人間の建前と本音をいちいち見分けることに嫌気が差した。もう無理。心が悲鳴を上げるばかり、今は何をしようにも虚しさしか感じられない。


今思うのは、過去の後悔である。
もっと要領良く生きていければ、学生のうちから早く自分に合った生き方を模索できたかもしれないのに。
学生なんだから尚更、つまらない常識に囚われる必要なんて全くなかったのに。(これは今でも言えることだけれども。)

学生時代のバイトなんて運転免許取った時点で辞めて、別のところで働ければ自分の可能性がもっとわかったかもしれないのに、今27歳では遅すぎる。もう30歳手前なのに。

学校だって行きたいところ行けば良かった。
人間関係でいろいろ悩むぐらいなら登校拒否して勉強だけしとけば良かった。社会出てもくだらない人間関係なんて全然失くならない。むしろ増えたじゃん。人間関係詰んだら仕事干されるとかふざけてる。馬鹿馬鹿しすぎる。


良識ではあっても、常識に囚われてはいけない。
この教訓にいつまで日本社会は背を向けているのだろう。私もそのうちの一人なわけだけど。


明日はどうしよう。

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