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「ミック板谷」という固有名詞から思い出された記憶と郷愁

こんにちは

編み物する人TAS KNIT(タスニット) やまもとです。

現在、パーソナルスタイリスト政近準子先生のオンライン学校

MFJでファッションの勉強をしています。

先日、グループ内の政近先生の投稿で

ミック板谷氏のことが書かれていました。お知り合いとのことです。


ミック板谷氏の作品集(上の写真のもの)を私は持っていました。

赤と青のこの表紙が可愛くて、よく表紙が見えるように部屋に飾っていました。

30年くらい前の話です。

この作品集はプレゼントで頂いたものでした。

大学生の頃、ファッションビルの中の服屋さんでアルバイトをしていました。

世の中DCブランド全盛期、バブル・・・煌びやかで活気がありました。

そんな中、お手頃なお値段で流行りの服が手に入るような服屋さんでした。

同じ年頃の店員仲間の中で、私より5歳くらい年上の男性アルバイトが居ました。

彼はバンドを組み音楽を楽しみ、自由気ままに生活しているような人でした。

景気がいい時代だったのでこういう生き方の人も多かったのかもしれません。

その後彼は上の作品集の出版元、京都の光琳社出版という会社に入社しました。

その関係で誕生日の時にこの作品集を私に贈ってくださったんだと思います。

残念ながらこの出版社は1999年に倒産してしまいました。

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この出版社でヒットした「空の名前」、新しいカタチの本でした。

その後彼は京都を離れ湘南に移り住み、現在はデザイン会社をされています。

数年前まで年賀状のやりとりをしていましたが、年賀状をやめてしまい、

毎年お正月にはどうされているんだろうな・・・と思い出す人。

今回のこの作品集をきっかけに検索すると、わりと簡単にヒットし、

現在の彼の様子を知ることができました。

(便利で恐ろしい世の中である。)

海の近くでご家族共々センスの良い生活を送ってらっしゃるご様子を垣間見て、

素敵だなと、ほっこりしました。


大学生で、まだ何者でもなかったあの頃の私が彼から教えてもらったことは

音楽とセンスの良いものを見つける目、力でしょうか。

(ファッションセンスはイマイチだったが・・・)

なぜ彼はこの「ミック板谷」の作品集を贈ってくれたんだろう。

当時の私は彼の中でどう写っていたのだろう。

長い時間を経て、別々の分野でお互いに「デザイン」というものに携わっている、

その不思議。

あの頃、相手の中にお互いがリンクする何か波動のようなもを見出していたのか。

当時も今も、恋心ではなく、私は彼が好きだな。


20代前半、背負うものなく自分のことだけを考えていればよかった時代。

あの頃好きだったブランドやモノ、音楽や映画、本などの文化。

自分とは何ぞやを辿っていけば、このあたりが原点だったかなと思う。

あの頃の、言葉では言い尽くせない感性や感受性。

そこに私の「ミック板谷」もある。

残念ながら、この作品集は数年前に手放してしまったが、

今でも家の中に「在る」と感じる。


さて、このまま彼と途絶えてしまうのはなんだかもったいない気がする。

何と言って連絡しようか…。





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