記憶の縄釣瓶petit: リズム音痴の音楽的記憶。

「音痴」とは、連れあいの著書『戦前尖端語辞典』によると旧制一校で寮歌を調子っぱずれに歌う者を指した表現が始まりらしいが、優れたミュージシャンにも音痴は多い。先日、大友良英さんがラジオでスティービー・ワンダーの曲を口ずさんで「音痴ですいません」と言っていた。
音程にしてもリズムにしても、それを感じ取る能力、脳内で組み立てる能力、またそれを肉体を使って外部に表現する能力は、意外と別々だったりする。そんな前提に立てば、ぼくは若いころから明らかなリズム音痴である。

らじるらじるの聴き逃しでゴンチチ『世界の快適音楽セレクション』を聴いていたら、山田参助さんの歌声が流れた。初めは戦前の演奏曲かと思ったが音質が妙にクリア、もしかしてと思ったらやはりそうだった。
参助さんは連れの『戦前尖端語辞典』に絵を描いてくれた共著者、彼女とは2525稼業のライブの対バンとして知り合った。一方2525はゴンチチの松村さんとも対バンとして共演している。『世界の〜』で曲を流してもらったこともあるらしい。
ゴンチチのアルバムの絵をずっと描いているミック板谷さんとも、けっこう長い付き合い。世の中狭い。番組は「音楽って素晴らしい2022」というテーマだったのだが、一方出版やデザインの仕事を80〜90年代にしていると、初めて仕事を依頼したときに相手の対応はほぼニ種類に分かれると感じていた。
こちらは可能性やセンスの良さ、力量と仕事の拡がりを感じて依頼の連絡をするのだが、電話で話すと面白そうだから一度会いましょうという人と、そういう仕事はあまり受けたくない(キャリアにとってマイナスだ)に分かれる。…そうこっちが決めつけているだけかもしれないが。後者はバブルの生き残り、そういうぼくもバブルの生き残りである。
閑話休題。連れや参助さんの世代になると、そういったバブル感は感じられない。面白いものは面白いのだ。ゴンチチの二人にバブル感がないのは大阪の人だからかもしれない。そんなことを考えていたら、学生時代に打楽器科の同学年だったやはり大阪出身の中村くんを思い出した。

検索すると「世界的打楽器奏者」らしい。ぼくが入学した時からあった音楽学部のマントビーボというジャズのビッグバンドで素晴らしいドラムソロを披露していたと記憶もするが、彼は一方でサンバパーティーというグループを組織した。
マントビーボがいつからあるのか知らないが、入学してすぐのころ、今や上野公園内に移築された奏楽堂で行われた演奏会を聴いて、乗りはともかく技術は学生バンドにしてはさすがだと感じた。が、ぼくが在学している数年間に音校の建物は一新された。そんななか新しくできた第一ホールでマントビーボは秋吉敏子、ルー・タバキン夫妻との公開講義&演奏会も行っている。
ただマントビーボは音楽学部器楽科中心のグループ、中村くんが中心になって始めたサンバパーティー(今も続いているらしい。サンバ部ということになってるようだ)の画期的だったところは、楽理科や作曲科は言うに及ばず、彫刻、絵画、工芸など美術学部の学生にも声をかけそんなメンバーが集まっていたところだ。
ぼくはリズム感と身体的運動神経の連携に難があることを感じていたため、つまりリズム音痴のため参加しなかったが、当初の段階で80人くらいの規模になっていたと思う。藝祭は言うに及ばず、学内で何かイベントがあると「ダ、ダ、ダン、ダ、ダ、ダ、ダダダン…」というあのリズムがどこからともなく聴こえてくる。続いて「ピーーーっ」というホイッスルの響きとともに、彼らは姿を現し学内を練り歩くのであった。

藝祭(といまは言うらしい。かつては芸術祭、略して芸祭だった)でもうひとつ記憶に残るグループがある。ぼくらよりふたつほど学年が上の、工芸・デザインが中心のバンド「フール・オン・ザ・ルーフ」(まずネーミングがいい)だ。たぶん太田洋子さんと和田純さんの女性ツインボーカル。カッコよかった。
フール・オン・ザ・ルーフは当時美術学部ミュージンクシーン(そんなもんあったか)の中心に位置していて、通常芸祭最終日にはお金を払って招待したゲストが野外ステージの大トリを飾っていたが(確か1年のときは大駱駝館山海塾の金粉パフォーマンス、2年のときは宮間俊之とニューハードのビッグバンドジャズと記憶している)最終日の前の日、土曜日のトリはフール・オン・ザ・ルーフが盛り上がりを最高潮まで引き上げていた。
彼らが卒業すると、美術学部ミュージンクシーンの中心はぼくらの同級生、佐久間耕太のロックンロールバンドが担うことになる。初めは「リーリン・ファックス・ロックンロール・バンド」というバンド名だったが、芸祭前に行われたステージ出演順等を決める「バンド会議」で、外国人留学生から「コノナマエ、トテモハズカシイデス、クチニデキマセン」との発言があり、耕太くん、「すいません、じゃあ変えます」ということで、日本のロカビリー史に燦然と輝く「デューク佐久間とザ・ニュー・東京サミッツ」が誕生することとなった。…んだと思う。


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