記憶の縄釣瓶petit: 笠置シヅ子。

朝ドラ『ブギウギ』も終わったようなので、笠置シヅ子について書いておこう。NHK大阪は10年に一度くらい、印象に残る朝ドラを制作する。
テレビ草創期に幼少時を送ったぼくにとって、笠置シヅ子はほんの10年前まで大スターだったなどとはまったく感じられない、ブラウン管でよく目にする明るいおばさんだった。「東京ブギウギ」が終戦直後の大ヒット曲だったことを知るのはもっと後のことだ(*1)。ドラマの最終週では、1950年代後半の歌手引退に至る経緯が描かれていた。
もう1人、バラエティでよく見かけたおばさんに水の江滝子(*2)がいた。こちらも戦前からの大スター。テレビは国民の多くが知っている元スターを上手に取り込み、彼女たちも新しいメディアの可能性を敏感に感じとって活躍の場を移していったのかも知れない。
「東京ブギウギ」は、「リンゴの歌」とともに戦後すぐの風俗や空気を表現するBGMとしてよく耳にした。だが実際に歌手としての笠置の強烈さを目にするのは、10代後半になって観た黒澤明の『酔いどれ天使』に突然挿入される「ジャングルブギー」のステージ・シーンだったと思う(*3)。
最近になって映画『銀座カンカン娘』の出演者(高峰秀子、笠置シヅ子、灰田勝彦、岸井明)が共演した主題歌の録音を聴いた。高峰(*4)は歌も歌える人気女優、そつなく丁寧に、きれいな声で上品に彼女が1コーラスめを歌ったあと、2コーラスめを笠置が歌う。地の底から湧き出てきて天にまで届きそうな、そのパフォーマンスに圧倒された。

*1 調べてみたら「東京ブギウギ」が大ヒットした1948年の笠置のディスコグラフィが凄まじい。「さくらブギウギ」「ヘイヘイブギウギ」「博多ブギウギ」「北海ブギウギ」「大阪ブギウギ」そして「ジャングルブギー」に「ブギウギ時代」。翌年には「ホームランブギ」「ジャブジャブブギウギ」「ブギウギ娘」「名古屋ブギウギ」、50年になると忘れちゃいけない「買物ブギー」…ったく、わてほんまによう言わんわ。

*2 笠置は大阪松竹歌劇団の大スター(ドラマではそのステージは予算の関係か演出の力不足か小じんまりと見えるが、実際にはあんなもんじゃなかっただろう)、水の江は東京松竹歌劇団の大スター。水の江はその後映画プロデューサーとして岡田真澄、フランキー堺らを見出し、石原裕次郎を育てた。さらに調べると浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子、原田芳雄、加えて中平康、熊井啓、斉藤耕一、倉本聰らの名前も登場するが、つまりは昭和日本映画全盛期の辣腕プロデューサーだったということなのだろう。因みにロス疑惑三浦和義の叔母にあたる。

*3 70年代後半に過去の日本映画を観るようになったぼくにとって、『羅生門』以前の黒澤の映画の中では、多くがロケーションで撮影された『野良犬』(1949)と比べて、ほとんどがセット撮影の『酔いどれ天使』(1948)はあまりピンと来なかった。クライマックスの「女殺油地獄」ばりのシーンも様式的でやや興醒めだったのだが、しかし公開時に観ていたおじいちゃん評論家たちの評価は圧倒的に高かった。制約された撮影環境の中での時代の空気感の表現に、新時代のリアリズムを感じたのかもしれない。確かに笠置の「ウワァオ、ワオワオ」には迫力があった。

*4 高峰秀子は幼少から天才子役として活躍した。16歳のときに主演した山本嘉次郎の『馬』(1941)は、実際は助監督だった黒澤明が、ほとんどメガホンを握った実質的処女作とも言われている。

追記:笠置の歌ったすべての曲を作曲したとされる服部良一は、レコード大賞授賞式に登場する、古賀政男日本作曲家協会会長の巨体の後ろに控えた、小柄で控えめな副会長という印象。まあヒット曲を数多く生み出したことと服部克久のお父さんということは認識していたが。


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