「アメリカ美術の30年」。

『カール・アンドレ 彫刻と詩 その間』展(DIC川村記念美術館)を観てきた。ここを訪れるのはサイ・トゥオンブリー展以来か、美術館入口脇のフランク・ステラの屋外作品は、錆がきて苔も侵食し始め、凄みを増していた。館内ではアンドレと同郷でひとつ違い、スタジオを共有していたこともあるというステラのコレクションとアンドレの作品を一室に収めた企画展示も行われていた。

カール・アンドレの作品を初めて観たのは今から50年近く前、西武美術館で開催された『アメリカ美術の30年』展であった。このタイトルは第二次大戦の終結から数えてのものだ。当時は1945年を新しい時代の起点として考えるのがごく一般的だった。それからまもなく50年である。
展覧会のポスターはR.リキテンシュタイン、図録の表紙を覆うのはJ.ポロック。会場はアクションペインティング、ポップアート、ミニマルアート、ハイパーリアリズム等のエリアに分かれ、おそらくミニマルアートのエリアの床にアンドレの作品は設置されていた。プライマリーストラクチャーというエリアがあったかどうか記憶にない。まあD.ジャッドの作品も強く記憶に残っているが、彫刻はいつだって絵画の脇役だ。正方形の鉄板が9枚だったか16枚だったか…、並べられていた。ミニマルアートのエリアにはその代表的作品として、その後の展開が想像もできないステラのストライプ絵画もあった。
ぼくはといえばそれより前から、安井賞(安井曽太郎の名を冠して具象絵画/画壇の芥川賞を目指した。いまでもあるのだろうか)展を見に行ったときに出会った、開館してまもない西武美術館チケット売り場向かいに展示されていた初期コレクションのJ.ジョーンズ『標的』に魅せられ、印刷では目にしたことがあるものの実物を観たことのない『星条旗』との生の出会いを期待する少年だった。おそらくこの辺りから美術とは「現場」で起こる「事件」であり、画像であれなんであれ、メディアに乗ることの不可能性を強く感じ始めていたのではないかと思う。
それから数年後、はじめてアメリカを訪ね西と東、南から北までドライブし、機会あるごとに各地の美術館を訪れたが、その常設展示で数多く目にしたのはR.ロングとアンドレだった。今回の佐倉の展示では床上の作品の多くの上を歩くことができた。おそらく作家の意向でもあるのだろう。だが40年前、池袋でアンドレの作品に乗る人はほとんどいなかったと記憶する。一方あのころアメリカの美術館では壁にかけられた作品 はDon't Touch、床に置かれた作品はそうではなかった。ぼくは各地でアンドレに出会うたびに、その上を歩き回った。

唐突なまとめに入る。それから45年が過ぎた。いま時代の起点だったはずの1945年以前のようなことが、世界各地で起こっている。人間は、美術は、世界になにか変化をもたらし得ただろうか。

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