高校の学祭での話


今日は私が高校の時、生徒会長やりましたが、その中の一つの出来事を話します。ウチの高校、凄く保守的で、三年に一度の学校祭にバンドを復活つさせる公約をあげました。生徒会で案をだし、職員会議できまる。一回目は見事玉砕しました。いい案ですが反対多数でね、、、 
二回目は一回目の案と私の生徒会長の責任として退学届を出しました。でも、反対派が多かったです。改めて理由を聞くと、学業に関係ない。他校がのっとってきらどうするかと、謂われました。
さて、どうしたらよいかと考えたところ、会場に柔道部をおく。手をだされたら、わたしが責任をもつから先に手を出されたら手を加えてもかまわない。とにかく邪魔はさせない。学校には迷惑をかけない。
衣装は学生服、髪の毛は染めない。派手な飾り付けはやらない!。純粋に音楽だけをやる。守れなかったらからすぐに中止。それと退学届をだして、反対側の頭がいないときに無理矢理決議を図りやれることで、決まった。、
これいうの、これが初めてだけど、熱さないとやっぱり心にひびなかい。、会場も体育館なら普通の教室にしてこじんまりとやった。相当妥協はしたけど、バンドをやることはできた。


で、評判はよかった。みんなが純粋に音楽をやっくれた。バンドのメンバーとはほとんど話していなが、でも、決まり事には絶対に葛藤はあったと思う。でも決められたことはやってくれた。みんな、汗をかいてくれた。そこが成功した要因だと思う。裏では、本当にきたないことをつかった。高校生なのに政治的な手腕を使った。もちろん、他の生徒会役員や他の生徒には言わなかった。

ぼくは、ライブをやりたいと人とは無関係だったけど、音楽が好きという想いを感じで動いた。まあ、他の高校から見て最悪なライブであったことは間違いかもしれない。でも、何でもいいからここで、ライブを復活させないと次に繋がらないとおもった。(次回からは体育館で開催したようだ。)

汗をかいて新しいことやることは重要。あの学際は本当に体力の限界だった。学祭に自分の就職試験、ほとんど、寝てなかった。点滴うちながら、毎日学校に行っていた。ご飯も食べる暇なかった。それだけ私は汗をかいたつもりだった。

でも、他の高校から生徒会役員が来ていった一言

なぜ、模擬試験がある日に学祭やるの?

自分の力が及ばなかった。
感動させることが出来なかった。たかが自由参加の模試試験に負けた。
時間は戻せない。反省ばかりが頭によぎった。
でも仲間たちは汗をかいて開催してくれた。最後、役員一人一人に握手した。みんな充実感を感じてた。私に着いてきて良かったとまで行ってくれた。
それだけが救いだった!  
                  2021/11/12
                  2021/11/13一部修正

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